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社説・コラム

天風録 「2人のゼロ戦乗り」

 日頃は「ノギさん」なのに「大之木(おおのき)少尉」とあらたまって呼んだ。松藤大治(まつふじ・おおじ)という仲間の最後の日を、大之木英雄さんは折に触れて語っていた。ほろ酔いの彼は何か書きものをし、翌朝は笑顔で朝鮮半島の基地を飛び立った▲あの戦争の終わり、ゼロ戦乗りの2人は沖縄への特攻出撃を命じられたが、運命は分かれる。戦後、松藤が日本で教育を受けた日系2世と知って米本土に母親を訪ねた。「国の大事にはキパッとやらなきゃ」と息子の死を受け入れる一言が重かった▲その大之木さんが94歳で逝く。呉市で家業の建設業を大きくする傍ら、特攻とは何か、自問し続けて▲間違いなく伝える自信はない、とためらいながら晩年、学生に証言した。戦争が終われば大学に戻り本を読みたい、運動場を駆け回りたい。仲間たちはそう思って極限を乗り越えようとした。「そんな若者がいたことを覚えておいてくれ」。大之木さんの願いは、それに尽きよう▲松藤の位牌(いはい)が福岡県糸島市の禅寺にある。中学生活を送ったもう一つの故郷。とわの別れをゼロ戦の機上から告げたという。若者を戦場に駆り立てなかった戦後の日本に、彼岸の2人は互いに安堵(あんど)していることだろう。

(2016年5月18日朝刊掲載)

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