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社説・コラム

[被爆者からオバマ氏へ] 禎ちゃんの無念届け 川野登美子さん=広島市中区

  ≪3歳の時、爆心地から2・3キロの牛田町(現広島市東区)の疎開先の家屋で被爆。被爆10年後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんと幟町小2~6年の同級生で、平和記念公園(中区)に禎子さんをモデルにした「原爆の子の像」を建立する運動にも携わった≫
 足が速くて活発だった禎ちゃんは1955年2月、6年生の時に入院した。私も被爆していた。発症したのがたまたま禎ちゃんだっただけで、もしかしたら自分も、という恐怖があった。級友たちも同じ思いがあったのか、卒業まで毎日交代でお見舞いに通った。

 「原爆症」が出ると助からないとはうすうす聞いていた。でも、禎ちゃんが自分の死を察していたと知ったのは、ずっと後になってから。当時はそんな様子をみじんも見せなかった。いつも病院のロビーまで見送りに来てくれたけど、どんな思いで私たちの背中を見ていたのか。どんな気持ちで病床で鶴を折っていたのか。12歳の胸の内を思うとたまらない気持ちになる。

 禎ちゃんは中学校に通学できないまま、10月に亡くなった。核兵器は子どもの未来を奪う。オバマ大統領は、原爆の子の像も訪れて禎ちゃんのことを知り、核兵器を廃絶する意味を心に落とし込んでもらいたい。

 期待するのは謝罪の言葉ではなく、平和な未来に向けた心からの祈りだ。その姿は言葉よりも雄弁なメッセージとなって世界に発信されるはずだ。任期は残りわずかだが、退任後も広島で感じたことを伝え続けてほしい。(明知隼二)

(2016年5月22日朝刊掲載)

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