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児童画の作者見つかる 米に戦後渡った作品のうち2点 野間さん・高見さん 学芸会の様子描く

 戦後間もない1953年3月、米ニューメキシコ州サンタフェ市に贈られていた広島市内の小学生が描いた絵の作者が相次いで見つかった。絵を確認した2人は、自身の作品が米国に渡り、今も残っていることを初めて知り驚いている。(二井理江)

 いずれも本川小の野間昇司さん(71)=広島市中区=と、高見正治さん(70)=同市西区=の2人。野間さんは当時、2年生。学芸会の様子を描いている。演題「おんしらず」の文字も書かれている。「絵そのものは覚えていないが、学校の講堂でほぼ毎年、学芸会が開かれていた」と話す。

 1年生だった高見さんの作品も学芸会の場面。3人がステージ上で動物を演じている。幼い時から絵が好きで絵画教室にも通っていた。小学生の時、作品がブラジルに送られ、画家と思われる人からポルトガル語の手紙が来たこともある。「自分の絵が米国に行っていて、しかも、60年以上もたって対面できてうれしい」。粗いタッチで好きな青系が使われており、自分の絵の特徴が出ている、という。

 当時の中国新聞の記事によると、作品は広島市側から120点余り、サンタフェ市側から108点を交換。広島の小学生の作品は、現地のニューメキシコ美術館で展示された。

 現存している44点は来年春、米メーン州のボウディン大美術館で一般公開される予定で、同館が作者を捜している。野間さんは「見に行きたい」。高見さんは「広島に『里帰り』する機会があればいいのに」と期待している。

 作品には、小学校名や学年、名前がローマ字で記されている。片仮名表記の名前などは、下記に掲載。連絡先は同センターTel082(236)2801(平日午前10時~午後6時)。

 1953(昭和28)年に広島市から米ニューメキシコ州サンタフェ市に送られた小学生の絵の学校名、学年、作者名は以下の通り。(敬称略、学校名はあいうえお順、作者が判明した作品は名前を漢字表記してある)

宇品小、6年、マツハラ・チサト
江波小、1年、シノザキ・スケタロウ
江波小、3年、ハヤシ・ケイコ
江波小、5年、ササキ・カツユキ
江波小、5年、スエヒロ・ミツオ
大芝小、5年、イワイ・マサタカ
大芝小、6年、タマガワ・スズコ
神崎小、3年、コキマ・トシツグ
神崎小、4年、オ(オ)シタ・ヨウセイ
神崎小、6年、シモタカ・タイコ
己斐小、3年、ヤマグチ・ヒロシ
己斐小、6年、オグラ・カツシ
荒神町小、3年、イマダ・ヒデマル
千田小、2年、ジョウ・カツヒコ
千田小、5年、イシカワ・レイコ
仁保小、2年、オキ・ヤスコ
仁保小、5年、クリヤマ・ミノル
白島小、4年、ヒロザネ・ショウジ
比治山小、5年、サトウ・フミコ
比治山小、5年、トヤマ・サイコ
比治山小、5年、ユゲ・セイスケ
広瀬小、3年、シロモト・シゲル
広瀬小、6年、カネコ・ヤヨイ
舟入小、1年、ナカヤマ・ヒロト
舟入小、1年、ニイ・ヨシコ
舟入小、1年、ニシハラ・ヒロシ
舟入小、2年、スギザキ・カツロウ
舟入小、3年、アナダ・ユキオ
舟入小、3年、クマガイ・カツヒコ
舟入小、4年、シンタニ・クニアキ(クキアキ?)
舟入小、5年、ハヤシ・ヨウジ
舟入小、6年、エタニ・カズユキ
古田小、3年、ツボタ・カズヒコ
本川小、1年、タカミ・マサハル(高見正治)
本川小、2年、ノマ・ショウジ(野間昇司)
本川小、3年、カキダ・ヨシコ
本川小、3年、スエダ・イクコ
本川小、3年、オガサワラ・エイコ
三篠小、4年、ヨシオカ・キヨミ
元宇品小、6年、キミカワ・アツコ
(不明)、3年、クボ・ノスケ(コウスケ?モスケ?)
(不明)、5年、ハマ・タカミツ
(不明)、(不明)、ウタウリ・キョウコ
(不明)、6年、(名字不明)・カツシ

(2016年5月23日朝刊掲載)

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