×

連載・特集

ヒロシマの視座 米大統領を迎える前に <上> 歴代米政権

「人道的か」に答えず 核兵器 開発継続 今も7000発

 被爆71年を前に、オバマ米大統領が27日、現職大統領として初めて広島に立つ。その意義を、ヒロシマの視座から考えたい。まず歴代米大統領とヒロシマの関わりをたどる。

 原爆投下時の大統領、トルーマン氏(1884~1972年)に送った抗議文が広島市議会事務局に残る。市議会が1958年2月13日の臨時会で決議した。「市民の憤激(deep indignation)をもってこれに抗議する」

 その5年前、大統領職を退いたトルーマン氏は、58年2月2日放映の米テレビ番組で原爆投下について「良心の呵責(かしゃく)を感じなかった」と述べ、場合によっては再使用もやむなしとの姿勢を示した。被爆13年の広島は怒りに満ちた。

 トルーマン氏は同3月14日、記者会見を開き、任都栗司市議会議長(当時)宛てに反論の返信をしたと明かす。「広島と長崎の犠牲は日本と連合国の将来の福祉のための切羽詰まった措置だ」。市議会は再抗議する。それならば原爆投下が人道的行為だったと考えるのか、と。

 この問いに歴代大統領は正面から答えてはいない。核開発を進めた末、今も約7千発の核兵器を持つ。核兵器がもたらす被害を、その目で見てほしい―。被爆者の呼び掛けにオバマ氏は応じた。ヒロシマはオバマ氏の誠実な言葉と行動を求めている。(水川恭輔)

被爆者の声届かず 核実験に抗議243回 訪問求める声強まる

 「原爆投下は人道に反する許せん行為。その思いは変わらん」。オバマ米大統領の広島訪問発表後、「謝罪」の是非をめぐる論議が盛んに報道されていた。元広島市議の吉田治平さん(93)は南区の自宅で、1958年2月の市議会臨時会の記録に触れ、静かに怒りを呼び起こした。

 原爆投下時の大統領だったトルーマン氏の「良心の呵責(かしゃく)を感じなかった」との発言に対する抗議声明を決議した出席議員31人のうちの1人。米軍が落とした原爆によって母親と妹3人を奪われた。

 トルーマン氏は、米軍最高司令官でもある大統領を53年まで務めた。50年に水爆製造を指令し、朝鮮戦争での原爆使用の可能性に言及。続くアイゼンハワー政権は54年にマーシャル諸島ビキニ環礁で最大規模の水爆実験をした。日本では第五福竜丸の被曝(ひばく)を機に、原水爆禁止運動が広がり、被爆者は56年に広島県被団協、日本被団協を相次ぎ結成した。

国際法の裏切り

 トルーマン発言には県被団協、広島市、広島県も抗議。市議会が3月に決議した2度目の声明は「非戦闘員の殺戮(さつりく)は国際法を裏切るもの」と批判した。吉田さんは今も、当時と同じ思いを抱く。「原爆投下を人道に反する『過ち』と認めんのなら、また使いかねん」

 多くの米国民が原爆投下を正しいとみていた冷戦下、核開発は進んだ。ケネディ政権下では、ソ連との核戦争が危ぶまれたキューバ危機の翌63年、部分的核実験禁止条約に調印。だが、その後も地下核実験を続けた。通常兵器の延長での使用を想定した射程の短い戦術核兵器の開発を進め、核兵器保有数は60年代後半に3万発を超えた。市は69年から、核実験のたび米大統領へ抗議文を送る。

 その半面、被爆の実態を知らしめるべく、広島では大統領訪問を求める声が強まる。ニクソン氏は就任前の64年、退任後のカーター氏が84年に訪れている。

 市は80年代から要請を本格化。レーガン氏へは大使館などを通じて働き掛けた。日本被団協も85年、代表団が渡米して要請。前年発表した運動方針で、米政府に対し、原爆投下が人道、国際法に反すると認めて謝罪し、核兵器廃絶を主導するよう求めた。

 ただ、県被団協に結成時から関わる阿部静子さん(89)=広島県海田町=は「米国は核兵器を持ち続ける姿勢を変えず、闇夜に叫ぶようなむなしさも感じてきました」と振り返る。被爆50年の95年を前に、米スミソニアン航空宇宙博物館での原爆被害の展示計画を巡り、米退役軍人らが反発。当時のクリントン氏も投下が正しかったとの考えを示した。

慰霊碑に誓いを

 現職のオバマ氏は2009年、チェコ・プラハでの演説で核兵器を使った唯一の国として行動する「道義的責任」をうたった。投下の是非への言及や謝罪の言葉を求めるかどうかは、被爆者たちの間でも意見は分かれる。阿部さん自身は怒りや憎しみをのみ込む。「原爆慰霊碑に『過ちは繰返しませぬから』という誓いを立ててほしい。まずそれが第一です」

 市から米大統領へ送った核実験の抗議文は、オバマ氏への12回を含め243回を数える。(水川恭輔)

  --------------------

米大統領の原爆投下と核兵器を巡る発言・記述

■第33代トルーマン氏(在任1945~53年)
「常にそれ(原爆)を積極的に使用することは考えられている」(50年、記者会見で朝鮮戦争の質問に)

「原爆攻撃を指令した後に良心の呵責(かしゃく)を少しも感じなかった。これからも万一の場合、水爆の使用は確かだ」(58年、米テレビ番組)

■第34代アイゼンハワー氏(53~61年)
「(58年の台湾海峡危機で)原子兵器の使用が将来必要になる可能性を認識していた」(65年出版のアイゼンハワー回顧録)

「(使用への各国民の反発は)アジアでは強烈だろうし、日本の場合には、特にわれわれにとって有害だろう」(58年の覚書)

■第35代ケネディ氏(61~63年)
「老若男女あらゆる人が核というダモクレスの剣(一触即発の危険の例え)の下で暮らしている。世にもか細い糸でつるされたその剣は、事故か誤算か狂気により、いつ切れても不思議はない」(61年、国連演説)

■第37代ニクソン氏(69~74年)
「ヒロシマは一つの時代を終わらせ、平和への約束を持たせている町だ」(64年、広島訪問時の発言)

「(ベトナム戦争で)私は核爆弾を使用したい」(72年、側近との会話=米国立公文書館が2002年に公開した録音テープ)

■第39代カーター氏(77~81年)
「壊滅的な惨禍を思うと極めて厳粛な気持ちになる」(84年、広島訪問時の演説)

「(原爆投下は)次の使用への大きな抑止力になった(略)長い目で見て人類に恩恵をもたらしたのではないだろうか」(96年出版の自伝「信じること働くこと」)

■第40代レーガン氏(81~89年)
「広島の市長、市民と同じように、私も(ソ連との)現在の軍備管理交渉が核兵器の削減をもたらし、最終的にはその廃絶へとつながるよう願っている」(85年、広島市からの要請書への返書)

■第41代ブッシュ氏(89~93年)
「(原爆投下は)正しかった。謝罪は必要でない」(91年、米テレビ番組)

■第42代クリントン氏(93~2001年)
「(原爆投下が正しかったかどうかは)当時の事情を考えればイエスだ」(95年、米講演時の質問に)

■第44代オバマ氏(09年~)
「核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」(09年4月、チェコ・プラハでの演説)

(2016年5月23日朝刊掲載)

年別アーカイブ