[被爆者からオバマ氏へ] 胎内への影響 知って 二川一彦さん=広島市東区
16年5月24日
≪当時32歳だった母広子さん(2000年に87歳で死去)のおなかの中で被爆した。14年8月に発足した原爆胎内被爆者全国連絡会の代表世話人の一人を務める。≫
被爆から71年でようやく供養に来ていただけるのだと受け止めている。オバマ米大統領の訪問は良いことだが、犠牲者を思うと「歓迎」という言葉は使いたくない。静かに迎えたい。
おふくろは原爆で、郵便局長だった47歳の夫と、私の姉である13歳の長女を亡くした。被爆直後は連日、私を身ごもりながら、2人を捜しに現在の東区の自宅から市中心部へ通った。戦後、当時の体験は一言も話さなかった。女手一つで5人きょうだいを養うのに精いっぱいだっただろうし、忘れようとしていたのだと思っていた。
でも、おふくろの死後、きれいにたたまれた姉のブラウスがたんすから出てきて。悲しみを一人で背負っていたんだと知り、胸が痛んだ。
胎内被爆者はあの日を知らない。その一方で、被爆者として「被害者ぶるな」といった偏見にさらされることもあった。私は比較的健康だが、病を患い、不安にさいなまれながら生涯を送る胎内被爆者もいる。
核兵器はその場の人間を殺傷するにとどまらず、目に見えない影響を与える。オバマ氏には、私たちの存在を知り、「非人道性」と言われるゆえんに触れてもらいたい。訪問を糧に、退任後も平和の実現に向けた積極的な行動を求めたい。(長久豪佑)
(2016年5月24日朝刊掲載)
被爆から71年でようやく供養に来ていただけるのだと受け止めている。オバマ米大統領の訪問は良いことだが、犠牲者を思うと「歓迎」という言葉は使いたくない。静かに迎えたい。
おふくろは原爆で、郵便局長だった47歳の夫と、私の姉である13歳の長女を亡くした。被爆直後は連日、私を身ごもりながら、2人を捜しに現在の東区の自宅から市中心部へ通った。戦後、当時の体験は一言も話さなかった。女手一つで5人きょうだいを養うのに精いっぱいだっただろうし、忘れようとしていたのだと思っていた。
でも、おふくろの死後、きれいにたたまれた姉のブラウスがたんすから出てきて。悲しみを一人で背負っていたんだと知り、胸が痛んだ。
胎内被爆者はあの日を知らない。その一方で、被爆者として「被害者ぶるな」といった偏見にさらされることもあった。私は比較的健康だが、病を患い、不安にさいなまれながら生涯を送る胎内被爆者もいる。
核兵器はその場の人間を殺傷するにとどまらず、目に見えない影響を与える。オバマ氏には、私たちの存在を知り、「非人道性」と言われるゆえんに触れてもらいたい。訪問を糧に、退任後も平和の実現に向けた積極的な行動を求めたい。(長久豪佑)
(2016年5月24日朝刊掲載)