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社説・コラム

社説 オバマ氏訪問を前に 被爆地の声 今こそ届け

 歴史的な一日となるだろう。オバマ米大統領が27日に広島市を訪れ、平和記念公園で原爆の被害に触れる。

 人類史上、初めて核兵器を使用した国の現職大統領は何を感じ、どんなメッセージを被爆地から発するのか。私たち中国新聞社は、世界中のどの報道機関よりも注視している。

広島の新聞ゆえ

 それは1945年8月6日の惨禍を経験し、克服した歴史があるからだ。広島の街が火の海と化す中で爆心地から0・9キロにあった当時の社屋は壊滅し、全社員の3分の1近い114人を失った。それでも生き残った社員で3日後に紙面を届けた。

 敗戦後は焼け野原から立ち上がり、米国をはじめとする連合国軍総司令部(GHQ)が原爆に関する報道を規制した「プレスコード」の時代を経て核兵器廃絶と恒久平和を訴えてきた。被爆の惨禍と復興の歩みを余すことなく伝える紙面を通じて。

 核兵器はなくせる。そう信じる報道姿勢は、71年前の原点と何ら変わっていない。

 ビキニ水爆実験に象徴されるように、冷戦時代にエスカレートした核軍拡競争に強く警告を発したばかりではない。後障害に苦しむ被爆者の援護策の充実を求め続けてきた。そのまなざしは各地で繰り返される核実験などによる世界の核被害者、さらに日本の加害責任を問うアジアの戦争被害者へも向く。

 ただ残念ながら、世界の核兵器保有国の指導者たちは私たちを含む被爆地の声に長い間、応えようとしなかった。特に超大国である米国の責任は大きい。キューバ危機などで再び核のボタンを押すことを視野に入れた大統領もいた。核実験への抗議に対しても一切耳を傾けず、持つことを正当化するための「核抑止力」という神話をばらまき続けたといっていい。

矛盾を覆い隠す

 一方で冷戦終結を待たずして欧州を中心に反核運動のうねりが起き、核軍縮は大きな流れとなった。世界中に1万5千発以上の核兵器がなお存在するが、かつて6万発以上あったことからすれば大きく減ったのは確かである。しかし人類を幾度も絶滅できる大量破壊兵器で脅し合う状況はどう考えても正常でない。核テロの脅威も忍び寄る。

 そうした状況のもとで、原爆を落とした国の首脳が訪れる平和記念公園には「平和の灯(ともしび)」が燃え続ける。核廃絶が実現すれば消すとされている。7年前にオバマ氏が大統領の座に就き、プラハ演説で「核兵器なき世界」を口にしたことで、被爆者たちはその日が遠からず来ると期待した。むろん本紙もエールを送った。だが現実を見れば失望を禁じ得ない。

 現政権下でも臨界前核実験や新型の核性能実験を継続し、今後30年間で1兆ドル(約110兆円)を投じて核兵器を更新する計画もある。自ら掲げた理想との矛盾は明らかだ。

 その点を覆い隠したまま広島訪問を任期を締めくくる外交成果として、あるいは新たな怒りに揺れる沖縄をよそに、日米同盟強化の舞台として演出するつもりなのだろうか。

 大統領は広島の地で多くのことを心に刻むべきだ。何より罪のない市民を殺し、多くの人生を狂わせた核兵器の罪深さについて。駆け足の滞在だとしても平和記念公園にはできるだけ長く時間を割いてほしい。

決意が問われる

 広島訪問に際して「大統領が謝罪するかどうか」が焦点となった。米国からすればその点はクリアしたと踏んだのだろう。現に被爆者の多くが今回は謝罪を求めないという調査結果はある。しかし米国の過ちを許し、過去のものにしたわけではないことも理解すべきだ。

 広島で予定している短いスピーチにしても、私たちは美しい修飾語で彩られただけのものを聞きたいわけではない。原爆資料館を見て、かつ被爆者と会うなら当然実感するはずの核兵器の非人道性にしっかりと思いをはせ、人間として率直な言葉を口にしてほしい。核兵器をなくすための決意の程を、被爆地を挙げて見守っている。

(2016年5月25日朝刊掲載)

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