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オバマ氏5・27ヒロシマへ 制服の弟へ決意語って 原爆資料館に遺品 広島の谷口さん

 オバマ米大統領が27日に広島市中区の平和記念公園を訪れる際、見学を検討している原爆資料館。犠牲者の生きた証しである遺品の一つ一つが、きのこ雲の下で何が起きたのかを伝え続けてきた。親きょうだいの形見を託した遺族たちはオバマ氏が遺品と対面し、戦争も核兵器もない世界へ決意を固めてくれるよう願う。(長久豪佑)

 資料館本館に常設展示されているぼろぼろの学生服がある。熱線を浴び、前身頃の布の多くはない。胸ポケットには所々破れた時間割表。原爆投下の翌日に亡くなった広島二中(現観音高)1年谷口勲さん=当時(13)=が身に着けていた。

 「おい、来たぞ」。兄の劼(かたし)さん(87)=西区=はガラス越しに見つめ、小さく声を掛けた。オバマ氏の広島訪問発表後、資料館を訪れた。「食糧不足の当時、妹のために弁当をわざと残す優しいやつでした。これを見るたび鮮明に思い出す」

 勲さんは建物疎開作業に動員された中島新町(現中区)で被爆した。爆心地から約600メートル。帰宅しない勲さんを、4年生だった劼さんが父親と一緒に捜した。日付が変わる頃、土橋電停(同)近くの防空壕(ごう)で見つけた。会話はできたが、顔はやけどで変わり果てていた。自宅に戻り、息を引き取った。

 死後、形見となった学生服を取り出しては眺める父親に、劼さんは「家にあるより資料館にある方が役に立つかもしれん」と進言。1965年に寄贈した。

 今は、同じ防空壕に避難し、亡くなった同級生の学生服と隣り合わせで展示され、計323人が亡くなった二中1年生の悲劇を伝える。オバマ氏が館内を巡れば、この学生服と向き合うかもしれない―。「勲はおとなしい男じゃった。多くは言わず、『むごいことでした』と訴えるのでは」と劼さん。

 劼さん自身は戦時の記憶を振り払うように約70年、造園業の仕事に打ち込んだ。現職米大統領の被爆地訪問にも「恨み合う戦争は済んだ。平和をつくりだす方が大切だ」と謝罪は求めない。「大統領は立場を離れ、一人の人間として遺品を見てほしい。二度とあってはならんと素直に感じるじゃろう」。資料館は遺品を含む現物資料約400点を展示。収蔵は約2万点に上る。

(2016年5月25日朝刊掲載)

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