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社説・コラム

『潮流』 被爆地の重み

■ヒロシマ平和メディアセンター編集部長・宮崎智三

 捕らぬたぬきの皮算用―。そんな批判は承知の上で、あすに迫った米大統領の広島訪問の「成果」を考えてみた。

 そもそも謝罪の言葉は期待薄だった。それでも広島と長崎に原爆を落とした米国のトップによる初の被爆地訪問。歴史的意義は否定できまい。

 その証拠に、海外メディアの取材が増えている。被爆70年の昨年も多かったが、「節目」以上の関心を呼んでいる。とりわけ海外の目が向いているのは謝罪という重い問題だ。

 被爆者が謝罪を求めていることに「何てばかげたことか」などとつづった英文のメールが平和メディアセンターに届いた。そんな感情的な反応もあるのかもしれない。

 それでも思う。米スミソニアン航空宇宙博物館での被爆資料の展示計画が退役軍人らの反発で頓挫した20年余り前には、大統領の広島訪問は想像さえできなかった。「原爆投下は正しかった」と考える人の方が今も多い米国だが、少しずつ変化しているのも確かだ。若い世代ほど、その割合は下がる傾向がある。

 原爆は日本を敗北に追い込むため不可欠だったのか。国際法違反ではないのか。今回の訪問で、米国だけではなく日本でも、あらためて冷静に議論できるきっかけになれば、成果といえるはずだ。

 もう一つ、「第2次世界大戦の全ての犠牲者の追悼」が訪問の目的としている点も成果につなげたい。日米両国の犠牲者を悼むだけでは不十分だ。アジア・太平洋地域での犠牲者にも思いをはせる必要が日本にはあろう。首相の発言に注目したい。

 原爆犠牲者の多くは非戦闘員の子どもたちや女性だった。あす大統領が歩く予定の平和記念公園も、そうした殺戮(さつりく)の現場であった。レガシーづくりとか、選挙への弾みとか、「皮算用」がすぎる人には重たすぎる場所であることは間違いあるまい。

(2016年5月26日朝刊掲載)

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