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「全滅」の遺影 対面待つ 被爆した鈴木さん一家 奪われた笑顔伝える

 人形を手に、あどけない笑顔で遊ぶ男の子と女の子。モノクロ写真の2人は原爆死した袋町国民学校(現袋町小、広島市中区)6年の鈴木英昭さん=当時(12)、3年の公子さん=同(9)=きょうだいだ。原爆資料館(中区)で開催中の新着資料展の案内看板に使われた。27日の広島訪問でオバマ米大統領が資料館を訪れ、看板が立つ東館入り口から入場するなら、真っ先に目にする遺影となる。2人を含む一家6人は原爆で「全滅」した。ただ一枚の写真が、幸せな時が奪われた現実を語る。(水川恭輔)

 「8月5日、英昭君と猿猴川へエビを捕りに行き、夕方『ほいじゃあの』(それじゃあね)と別れたのが最後です」。いとこの鈴木恒昭さん(84)=広島県府中町=の目がみるみる赤くなる。あの日まで、きょうだいのように遊んでいた。

 2人の父六郎さん=当時(43)=は爆心地の東約500メートルの播磨屋町(現中区本通)で「美髪院」を営んでいた。当時、店にいた六郎さんと次男護さん=同(3)、次女昭子さん=同(1)=も亡くなった。母フジエさん=同(33)=は重傷を負って親戚宅に避難。登校していた長男英昭さん、長女公子さんを含め、夫と子ども4人が助からなかったようだと聞き、井戸に身を投げた。

 一家は生前、ピクニックや海水浴によく出掛けた。カメラが趣味の六郎さんは家族の日常を膨大な枚数の写真に収めていた。遺品のアルバムの写真計約700枚を受け継いだ恒昭さんは2014年、資料館にデータを託した。恒昭さんは、爆心地から約2・7キロ離れた自宅で被爆したものの助かった。

 新着資料展には、扇風機の風を気持ちよさそうに浴びる英昭さんと公子さん、家族が手をつないだ影などの写真パネル15点が並ぶ。

 オバマ氏が資料館を見学するかどうかは25日現在、公表されていない。恒昭さんは、全滅した家族の「声なき声」を語る遺影をオバマ氏ら核兵器保有国の首脳が見ることを切に願う。

 「名もなく貧しくても、美しく温かい家族の絆を原爆が消し去ったと知ってほしい。そして核兵器の発射装置のそばに写真を置いてほしいんです。あの笑顔を見て、スイッチは絶対に押せんですよ」

(2016年5月26日朝刊掲載)

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