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連載・特集

ヒロシマの声をオバマ氏へ

 被爆地広島は27日、原爆投下から71年の夏を前に、初めて投下国の現職大統領の訪問を受ける。今を生きる被爆者の思い、原爆で命を奪われた人たちの声なき声をオバマ大統領に届けたい。中国新聞社は今回、4ページにわたる特集を組んだ。

 私たちは原爆の惨禍を体験した被爆地の新聞社として、戦後一貫して原爆・平和報道を続けてきた。「原爆は威力として知られたか 人間的悲惨さとして知られたか」。元論説主幹で、原爆報道の礎を築いたジャーナリスト金井利博氏(1914~74年)は問うた。そして今も、その視点を引き継ぐ。

 これまでの本紙記事から、社説(25日付朝刊)の英訳、シリーズ「被爆者からオバマ氏へ」(12~26日付朝刊)の一部と「遺影は語る」の総集編(2000年6月29日付朝刊)をそれぞれ日英両語で掲載した。「広島の爆心地街並み復元図」(同)も載せた。

 ここ被爆地で、オバマ氏に原爆を「人間的悲惨さ」として受け止めてもらいたい。「核兵器なき世界」へ向け、さらなる一歩を踏み出すために。(城戸収)

ヒロシマの声 オバマ氏へ

ヒロシマの記録―遺影は語る

広島の爆心地 街並み復元図

ヒロシマの記録 「遺影は語る」

 広島へ米軍が1945年8月6日に投下した原爆は、約14万人の命を年末までに奪った。生き残っても放射線障害が襲った。

 この遺影は、広島市中区の平和記念公園となった爆心地一帯で逝った人たちだ。生後9カ月の男児から87歳の女性まで1882人。米戦略爆撃調査団が46年の報告書で記した「原形をとどめぬほどに炭化させ」られた人たちが生きていた証しでもある。

 さく裂直下の「細工町」と「広島郵便局」▽原爆ドームだけが残った「猿楽町」▽デルタの繁華街「中島本町」▽六つの寺院があった「材木町」▽商店や医院が連なった「天神町」▽問屋街でもあった「元柳町」▽元安川右岸の建物疎開作業に出て全滅した「市立高女1、2年」▽本川左岸にいた「県立二中1年」…。

 中国新聞社は、爆心地一帯での一人一人の生と死を97年から2000年6月にかけて追い掛けた。「遺影は語る」としてまとめた。

 ご遺族らの協力を得て、45年末までの死没者2342人と翌年から62年までの27人の被爆状況を確かめた。85%が当日に亡くなっていた。1882人の遺影(うち21人は46―59年の死没者)の多くは2002年、公園内に開館した国立原爆死没者追悼平和祈念館に収められている。

 核兵器は今、約1万5千発が世界に存在する。20世紀の「負の遺産」が続く。原爆投下に始まる核超大国のオバマ大統領がきょう27日、爆心地跡に立つ。唱えた「核なき世界」に向けて何を語るのか―。声なき「遺影」にもこたえる行動をヒロシマは注視している。(特別編集委員・西本雅実)

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