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社説・コラム

投下は過ち 明言せずとも オバマ米大統領 広島訪問

■編集局長・江種則貴

 まるで哲学者のようなスピーチが長く続いた。罪のない人々を犠牲にする戦争自体を真っ向から否定し、核のない世界への決意を表明した。科学の進歩がもたらす命や文明の破壊を嘆き、過去から学ぶ人類の責務を説いた。

 格調に満ちていた。世界市民に対するメッセージとして力強く、高らかに響いた。

 しかし、具体性に欠けたことは隠しようがない。全ての戦争犠牲者に思いをはせたものの、予想された通り、原爆投下についての謝罪はなかった。核超大国のリーダーとして、廃絶への道筋をはっきり示したとも言えない。

 被爆者や遺族の胸にすんなりと納まったかどうか。

 原爆投下を命じた当時のトルーマン大統領から数えて12代目。そのオバマ氏が、あまたの無念が染みこんだ爆心の地を踏んだ。原爆資料館で遺品と対面し、慰霊碑に花を手向けた直後、うつむいて目を閉じた5秒間は、誰の目にも歴史的瞬間と映った。

 オバマ氏だからこそ実現した被爆地訪問と言える。炎を逃げ惑った被爆者の恐怖は十分に伝わったことだろう。その被爆者たちが、死を免れた喜びではなく、むしろ「自分だけが生き延びて申し訳ない」と自らを責め続けたことも理解されたと信じる。

 その自責の念があるからこそ今回、多くの被爆者は「まどうてくれ(元に戻してくれ)」という広島弁を自ら封印したのだ。謝罪の代わりに、ヒロシマの地できっぱりと核抑止力からの決別を宣言してくれると、オバマ氏だからこそ期待したのだ。

 謝罪とみなされる言葉遣いを避けつつ、戦争が悪いと言うしかないのが大統領の立場であろう。核兵器廃絶というゴールが遠いのも、悲しいかな、国際政治の現実だ。

 とはいえ、被爆地は、諦めるわけにはいかない。その意味では、期待を残すスピーチでもあった。ヒロシマ、ナガサキを核戦争の夜明けではなく「私たち(人類)の道徳的な目覚めの始まり」と位置付けた点である。

 明言こそ避けたが、オバマ氏は原爆投下を人道にもとる「過ち」と認めたのだと解したい。ヒロシマにじかに触れた人間の叫びとして、記憶にとどめたいと思う。

(2016年5月28日朝刊掲載)

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