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社説・コラム

『今を読む』 宗教ジャーナリスト・山野上純夫

オバマ氏の「以心伝心」 その振る舞い 謝罪とみた

 広島市の平和記念公園を訪れたオバマ米大統領は、1時間足らずの短い滞在中に、日米両国民の心情に配慮しつつ、いかなる名優にも勝るしぐさで、国際的なセレモニーを演じ抜いた。テレビが映し出すオバマ氏の隣に、私は初代公選広島市長、浜井信三氏の姿を見る思いだった。

 浜井氏は被爆から2年後の1947年に就任したが、3期目を目指した55年の市長選では落選し、4年後に返り咲いている。新聞記者として55年の選挙戦を取材した私は街角で市長の肩書を失ったばかりのところで出会い、喫茶店で率直な心境を聞いた。

 話はオフレコという約束だった。しかし浜井氏の没後半世紀近い歳月が流れ、しかも現職の米大統領の広島訪問が果たされた今、その内容を公開したい。彼岸の氏も許してくださると思う。

 この時私は、市長選の敗因は何だと思うか、と尋ねた。浜井氏はまず、広島市の将来を考えて下水道工事を優先したことだろう、と答えた。道路舗装や架橋工事を後回しにして、市内の道路を掘り返したことが、理解してもらえなかったというのだ。

 その次に挙げたのが、原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」に対する反響だった。慰霊碑は52年に建立された。碑に刻む文面について相談した広島大教授の雑賀忠義氏から、この案を示されたとき、浜井氏もこれぞ広島にふさわしいと思ったという。

 「しかし、誰が過ちを犯したかの主語抜きの言葉は、市民、特に被爆者には理解しにくかったでしょうね」

 当時の浜井氏は「全人類の立場からの反省の言葉だ」と公式には説明していた。しかし「米国に遠慮したもの」との批判も根強かったそうだ。浜井氏の話を思い返すと、趣旨はこうだろう。

 「広島は安芸門徒の地であり、親鸞聖人の言葉を伝える歎異抄を生きる指針としている人が多い。その第1章に、人間は罪悪深重(じんじゅう)、煩悩熾盛(しじょう)、罪を犯さずには生きられない存在だとあります。また第13章には<害せじと思うとも、百人千人をころすこともあるべし>とあります。広島は軍都であることを誇り、多数の将兵をアジア諸国に送り出してきた。原爆を投下した米国を責めるだけでは、平和は実現しないのです」

 「キリスト教には原罪という思想があるそうですね。原爆を落とした側、落とされた側が共に罪を自覚してこそ、真の平和実現への道が開けるのではないでしょうか。私はこの言葉を考えてくださった雑賀先生に、心から感謝しました」

 しかし、憲法には政教分離の原則がある。浄土真宗であれキリスト教であれ、市長が市政に宗教色を持ち込むことは許されまい。「だから沈黙を守っていますが、いつかは私の願いが理解される日が来ると信じていますよ」と浜井氏は話を締めくくった。

 当時、記者歴わずか3年の私には、浜井氏の説く歎異抄の精神などを十分に理解することができなかった。浜井氏は、市長退任後に朝日新聞社から出版した「原爆市長-ヒロシマとともに二十年」の中でも、慰霊碑の碑文についての記述の中で歎異抄には触れていないのである。

 原爆慰霊碑への献花に先だって訪れた原爆資料館に、オバマ氏は自分の手で作った折り鶴を贈った。「原爆の子の像」のモデルとされる佐々木禎子さんを象徴するものだ。

 広島訪問に当たって謝罪の言葉は確かになかった。しかしこれは、以心伝心あるいは不立文字の心で示した、広島と長崎の両市民への「謝罪」ではなかろうか。

 生前の浜井氏は、自分の心を端的に表す歌として、毎年の平和記念式典で歌唱される「ひろしま平和の歌」の第3節を挙げていた。

 「風清くかがやくところ/国のはて世界の友に/おお熱く想いかよえと/鐘は鳴る平和の鐘に/いまわれら手をさし伸べて/その睦みここに歌わん」

 オバマ大統領に次いで広島を訪れる「世界の友」は誰であろう。

 29年高知県四万十町生まれ。広島高師付属中在学中に被爆。広島大卒。毎日新聞編集委員、中外日報論説委員を経てフリー。著書に「法衣のかげで―仏教界・この現実」など。京都府八幡市在住。

(2016年5月31日朝刊掲載)

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