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連載・特集

緑地帯 運動の水脈をたずねて 丸浜江里子 <3>

 原水爆禁止署名運動の発祥の地、東京・杉並はどんな歴史を持った地域なのか。

 「あんな竹やぶや杉山ばかりの、キツネの住んでいる所に駅をつくるなんて無理な話だ」。100年前、新駅開設の陳情に行った地元有志に、旧鉄道省の役人はそう語ったという。現在55万人余りの人口を擁する杉並区も、当時は4村に分かれ、米や麦、大根、杉の丸太などを産する農村だった。

 変化のきっかけは1922年の新駅(高円寺、阿佐ケ谷、西荻窪の各駅)増設と、翌年の関東大震災だった。家屋の倒壊以外、大きな被害がなかった杉並に東京市中から続々と人々が移り住み、人口は3倍に増えた。

 モダンな男女を指す「モボ・モガ」など造語の名人だった文芸評論家の新居格(いたる)も、その一人だった。新居は26年、仲間たちとユニークな消費組合(城西消費組合)をつくる。

 組合員には与謝野晶子、吉川英治、大宅壮一、野口雨情、小林多喜二など知識人のほか、市井の労働者、中国人や朝鮮人も参加し、組合員は800人を超えた。特に女性が活躍し、共同購入をはじめ班会、家庭会、講習会、講演会、ピクニックなどの多彩な活動を楽しんだという。

 戦争が激しくなると、配達員が次々と徴兵され、治安維持法で検挙される組合員も出た。配給機構の一元化などで41年、家庭購買組合に吸収される形で解散する。しかし、自由と相互扶助を大切にした城西消費組合は、戦後の杉並に生まれた市民運動の一つの源流といえるのではないか。(都留文科大非常勤講師=東京都)

(2016年6月2日朝刊掲載)

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