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社説・コラム

『潮流』 大統領のクルマ

■論説委員・古川竜彦

 自動車大国の米国で、オープンカーはかつて「平和」と「自由」の象徴だったのかもしれない。あの1963年11月22日までは。

 ケネディ大統領暗殺である。テキサス州ダラスを訪れ、オープンカーに乗ってパレード中、狙撃され死亡した。凶弾を受け座席に崩れる大統領と抱きかかえる夫人…。ショッキングな光景が世界を震撼(しんかん)させた。

 多くの謎に包まれ、真相は今も闇の中だ。先日も事件を取り上げたテレビ番組で、現場にいたかつてのシークレットサービスの一人が証言し、疑問の一つに答えていた。

 ダラスでは反ケネディの抗議活動も起きていた。なのに、なぜ無防備なオープンカーに乗ったのか―。「できるだけ多くの人に自分を見てもらい、声を聞いてもらいたい。だから車の屋根は外してくれ」。大統領の指示だった。

 国民とのつながりを常に重視し、熱狂的な人気を集めた。その結果、もたらされた悲劇とすれば、やりきれない思いが募ってくる。

 オバマ大統領の広島訪問でも、大統領専用車が存在感を示していた。ひと目見ようと広島市の平和記念公園近くに詰めかけた約5千人の市民は黒塗りのリムジンに手を振り、カメラを向けた。

 車からは幾重にも連なる人垣が見えたに違いない。「広島に来てよかった」。大統領は多くの市民が沿道で歓迎してくれたことに感銘したとも伝えられた。ただ、分厚い防弾ガラスで隔てられ、市民の側からは大統領の姿をほとんど捉えることはできなかったであろう。

 VIPの中のVIPである。物々しい警備が敷かれたのもやむを得ない。「テロ」や「狙撃」も身近にある危機なのかもしれない。それでも市民は実際に姿を見て声を聞きたかったはずだ。非暴力で平和を訴え続けてきた広島の街だからこそ。

(2016年6月4日朝刊掲載)

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