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連載・特集

緑地帯 運動の水脈をたずねて 丸浜江里子 <5>

 1954年3月1日の夜明け近く、米国は中部太平洋ビキニ環礁で水爆実験を行った。爆発後、足元から突き上げるようなごう音を響かせて、衝撃波がビキニ環礁の全ての島々を襲った。吹き上げられたサンゴ礁は強い放射能を帯び、白い粉となって雪のように降ってきた。

 広島型原爆の約千倍もの威力とされるこの爆発は、「キャッスル作戦」と呼ばれた一連の核実験の1回目。実験は5月14日まで6回繰り返された。一帯の海は、日本漁船が行き交うマグロの好漁場。行き交っていた船は第五福竜丸だけではなく、千隻に及ぶ規模だったことが知られつつある。

 「死の灰」と呼ばれた放射性降下物をはじめ、膨大な放射能が海、陸、大気を汚染し、日本各地で雨から放射能が検出された。あらゆる食品が汚染されたが、とりわけ汚染マグロを投棄する光景が報じられると、パニック的な反応を引き起こした。

 「魚が売れなくなり、魚屋は困っています。このままでは明日から店を閉めなければなりません。私たち杉並魚商組合で原水爆禁止の署名を取り組んでいます。一人でも多くの方に署名していただきたいんです」

 ビキニ事件の新聞報道から1カ月後。東京・杉並公民館であった杉並婦人団体連絡会(婦団協)の総会で、「魚健」のおかみ菅原トミ子は訴えた。婦団協はその場で水爆問題に取り組むことを決める。翌日、杉並区議会でも「水爆の実験行為禁止に関する建議案」が満場一致で可決され、署名運動の歯車が回りだす。(都留文科大非常勤講師=東京都)

(2016年6月4日朝刊掲載)

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