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[フロントライン備後] 広島県東部から被爆地支援 「原爆焼」福山で見つかる ヒロシマつなぐ資料

 第2次世界大戦後、福山市神辺町の団体が、広島市の原爆の爆心地近くの土を混ぜて制作した「原爆焼」。5月に福山市で見つかった。制作の詳しい経緯は明らかでないが、県東部から被爆地の支援を目指した活動がうかがえる。所有者から6月中に寄贈を受ける予定の県立歴史博物館(福山市西町)は、「展示をきっかけに情報が集まれば」と願う。(福田彩乃)

■制作意図

 同市で古美術店を営む延時立志さん(84)所有の原爆焼には、文書とはがきが同封されていた。はがきは同市に住んでいた元の所有者で、昨年亡くなった田和俊輔さんの母貞代さん宛て。文書には、制作者は「広島原爆記念会」とある。

 文書は「『新生日本のシンボル』として子々孫々永久後世に伝える目的」で制作、流布を目指すと伝える。1950年7月13日付の中国新聞には、同じ原爆焼とみられる記事があり、売上金の一部を広島市の復興や平和運動記念事業、戦災孤児の救済の資金として寄付すると記す。

 広島女学院大元教授で、被爆史や日本戦後史が専門の宇吹暁(さとる)さん(69)=呉市=は「廃虚の中にあっても広島の町をPRしようとした、人々の営みとたくましさを伝える資料」とみる。

■配布先

 延時さんの原爆焼が見つかった後、福山市大門町の石岡悦子さん(75)も、同様の原爆焼を自宅で保管していることが分かった。かつて旧神辺町役場で働いていた義理の父が所有していたという。

 石岡さんは「会の事務所は神辺町にあった。義父と何らかのつながりがあったのでは」と推察する。田和俊輔さんの次女の道佳さん(55)によると、貞代さんは生前、旧深安郡加法村で村会議員を務めたという。「会が地元の名士たちに渡したのかもしれない」と想像する。

■活用

 延時さんから寄贈を受ける予定の県立歴史博物館は、原爆関連の資料を所有するのは初めて。「大切に扱いたい。活用法を考えている」とする。

 宇吹さんは「被爆体験は今後、各地域との関わりの中で継承することが重要になる。地元との関係を知れば、より印象に残る」と指摘。「原爆焼は、県東部とヒロシマをつなぐ資料として、大きな意味がある」と話している。

(2016年6月5日朝刊掲載)

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