×

連載・特集

緑地帯 運動の水脈をたずねて 丸浜江里子 <6>

 「水爆禁止のために全国民が署名しましょう。世界各国の政府と国民に訴えましょう。人類の生命と幸福を守りましょう」

 のちに3千万筆を超える署名を集める発端となった「杉並アピール」は実にシンプルだ。1954年5月、東京・杉並公民館の安井郁館長が起草し、水爆禁止署名運動杉並協議会の署名用紙に刻んだ文面。あらゆる党派を超え、「水爆禁止」の一点で手をつなぐ運動が立ち上がった。

 署名は開始から約1カ月で26万筆、区民の7割以上に。協議会の速記録に「26万のうち17万余りは婦団協を中心とする婦人たちの努力によった」という安井の発言が残る。子どもの健康を思う女性たちの奮闘は、福島の原発事故後とも重なって見える。

 運動は区内から全国へ展開した。杉並から各地の自治体などに「援助を惜しまない」と書き添えた600通の署名用資料を送ると、うねりのような反響が連鎖する。「原水爆を許さない」という思いは、「戦争はもうこりごり」という記憶と相まって、空前の市民運動に成長したのだった。

 今、杉並公民館があった場所には体育館が立つ。敷地の一角に、原水爆禁止運動の発祥地と記した碑はあるが、人々が集った「げた履きで行ける」公民館はない。

 今年3月、同じ杉並にある「荻外(てきがい)荘(近衛文麿旧宅)」が国の史跡に指定された。40年7月、近衛が東条英機らと集った「荻窪会談」をはじめ、アジア太平洋戦争へ向かう国策決定の場となった邸宅である。地域から歴史をどう見据えるか、問われている。(都留文科大非常勤講師=東京都)

(2016年6月7日朝刊掲載)

年別アーカイブ