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別れのおでん 焼け野原で開店 心に染んだ味・人情 広島市中区「たぬき」 70年の営業に幕

 広島市中区中町の「おでん処(どころ)たぬき」が6月末に閉店する。原爆投下の翌年に開店し街の復興と歩んできたが、2代目の高雄孝彦さん(72)が昨年病気になり、体力の限界を感じて70年の歴史に幕を下ろすことを決めた。味と人情を愛するファンが名残を惜しんでいる。(山本祐司)

 タヌキを描いた緑の看板がトレードマーク。縄のれんをくぐると、四角い鍋が出迎える。年季の入ったカウンターの木は、約100年間、酒だるの底に使われた良材という。

 「お客さんに育ててもらった」と振り返る。叔父で先代の樋口碩哉(せきや)さんが亡くなった1976年に店を引き継いだ時は、会社員からの転身だった。常連客から味付けを指南され、5年ほどかけて自分の味を確立。銀行員らが通い、支えてくれた。

 創業は46年。満州鉄道職員だった先代が中の棚(中区)で始めた。まだ焼け野原で家はなく、客は土間に置いた長いすにまたがり、隣客の背中を見ながら酒を飲んだ。

 東京生まれの高雄さんは、僧侶だった父が原爆で住職を失った寺を継ぐため小学生の頃に広島へ。崇徳高を卒業し、鹿児島市で会社員生活を送っていた。

 2代目になった当時、袋町(同)にあった店は10人入れば満席。それでも客が階段に座り、ビールを飲みながら順番待ちした。日本酒も一晩で一升瓶が10本空いた。現在地には81年に移った。

 「正直を重ねて信用を得る」をモットーに妻の朝見さん(67)と店を切り盛り。仕込みは閉店後から始める。先代から継ぎ足すだし汁をこし、食材に味を染みこませ、味のハーモニーをつくり出す。

 閉店を惜しむ常連客らで週末などは満席状態。その1人、中区の会社員光永淳二さん(57)は冬場の聖護院大根の味にほれ込んだ。「客層も良く本物を教えてくれた。寂しいが2人にはゆっくりしてほしい」とねぎらう。

(2016年6月7日朝刊掲載)

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