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連載・特集

緑地帯 運動の水脈をたずねて 丸浜江里子 <8>

 ビキニ事件から57年目に起こった福島第1原発事故。福島県南相馬市に住む友人は、被災当時を振り返って語った。

 「実家は津波で流されてしまい、総勢20人で身の振り方を相談しました。原発が爆発したらしいという情報にチェルノブイリ原発事故を思い出し、とにかく逃げようと3月13日に自動車に分乗し、(福島県)飯舘村公民館にたどり着いて、車の中で寝ました。…飯舘の線量が高かったことは後で知ったのです」

 国は放射性物質の拡散推計システム(SPEEDI)を持ちながら、情報を即座に公開せず、防げたはずの被曝(ひばく)を拡大させた。それから5年。放射能に汚された大地の除染完了は見通せず、原発からの汚染水対策も難航し、農林漁業への影響は甚大である。

 にもかかわらず、年間20ミリシーベルト以下の地域では「健康への影響は無視できる」と、帰還政策が推し進められている。強い言葉を使うことのなかった友人が「私たちは棄民です」と憤る。そして、東日本大震災後も火山の噴火や大きな地震が相次ぐ中、稼働を続け、あるいは再稼働を控える原発が国内に幾つもある。

 福島の事態は、原水爆禁止運動が高まる中、それを敵視する米国の核戦略に日本が追随して進めた原子力政策の結果である。またぞろ、その政策への回帰が始まっているならば、私たちは、運動の水脈をたどって「生命と幸福を守りましょう」という原点を叫び続けよう。西から東から、これまでよりもさらに大きく。(都留文科大非常勤講師=東京都)=おわり

(2016年6月9日朝刊掲載)

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