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折り鶴の心世界に届け オバマ氏作 広島の原爆資料館で公開 

禎子さん級友ら 喜びや期待の声

 オバマ米大統領の広島訪問で「サダコの折り鶴」はあらためて注目を集め、世界へ発信された。原爆資料館(広島市中区)でオバマ氏が作った折り鶴4羽の公開が始まった9日、佐々木禎子さんの同級生や来館者は、原爆の非人道性と平和の象徴としてサダコの折り鶴がさらに高く羽ばたくよう願った。(水川恭輔、森戸新士)

 「禎ちゃんの話が米国でもよく知られるようになった証しで、うれしい。国や宗教の違いを超え、平和を願う輪が折り鶴を通じて世界中に広がってほしい」。禎子さんと幟町小で同級生だった川野登美子さん(73)=中区=は、4羽の公開を喜んだ。

 禎子さんは2歳の時、爆心地から約1・7キロの楠木町(現西区)の自宅で被爆した。幟町小でリレーの学級代表になるほど快活だったが、6年生の終わりの1955年2月、白血病と診断され、広島赤十字病院(現中区)に入院。治るよう願って鶴を折り続け、その年の10月に逝った。被爆10年ごろは子どもを中心に被爆者の白血病増加がピークだった。

 川野さんたち級友は原爆の子の像の建立を呼び掛けた。58年、全国の浄財で、折り鶴を掲げる禎子さんをモデルにした像が平和記念公園内で除幕された。

 資料館には当時のビラが禎子さんの折り鶴とともに展示されている。「級友の頑張りで像ができ、米国の大統領が折り鶴を折るまでになった経緯を子どもたちに伝えたい」。ピースボランティアの伊藤正雄さん(75)=佐伯区=は言う。資料館は今回、入館者に禎子さんの関連展示をまず見てもらうよう、オバマ氏の折り鶴を見学ルートの終わりに置いた。

 「追悼の思いがこもっていると思う。罪のない子どもが亡くなった事実に胸が張り裂けそうだ」。観光で訪れた米国の会社員ジム・キャバノーさん(54)は見学後にそう語った。山口市の大内小6年横村真夕さん(11)は、同級生114人で原爆の子の像に折り鶴をささげた後に訪れた。「『核兵器を全部無くしてほしい』と書いた紙で鶴を折った。他の保有国の人たちも広島に来て」と期待した。

(2016年6月10日朝刊掲載)

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