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社説・コラム

『潮流』 レイキャビクと広島

■論説委員・東海右佐衛門直柄

 アイスランドの海沿いに建つ一軒家。「ホフディハウス」を訪れた広島市の被爆者、伊藤正雄さん(75)から写真を見せてもらった。

 1986年10月のレイキャビク会談の開催地だ。米国のレーガン大統領と、ソ連のゴルバチョフ書記長が核軍縮を目指した討議は2日間に及び、一時は双方の核兵器全廃の手前まで進んだ。しかし米側が「スター・ウォーズ計画」と呼ばれた戦略防衛構想にこだわったためゴルバチョフ氏が反発。土壇場で決裂した。

 「歴史的な偉業まであと一歩…。好機を生かせなかったことを次世代が知ったら、彼らは私たちを許さないだろう」。同席したシェワルナゼ・ソ連外相が述べた言葉が、後に公開された会談録に記されている。

 会議室には今も小テーブルと椅子が残る。「両者が膝詰めで真剣に向き合った気迫が残るよう。あと少しで世界は変わったのに」。原爆資料館でピースボランティアを続ける伊藤さんは惜しむ。

 あれから30年。会談がいま顧みられることはほとんどない。だが冷戦期に対立してきた米ソが、核兵器全廃で合意しかけたという意義に再び光を当てたい。

 タカ派のレーガン氏がなぜ廃絶を目指したか。核兵器で脅し合うことは地球を破滅しかねないと気付いたからとの元側近の証言がある。直接交渉で打開を図った行動力は敬服に値する。

 30年後、被爆地訪問で名声が高まるオバマ氏はどうか。「核兵器なき世界」の言葉は美しい。ただ実際の核兵器削減数は在任7年で702発。歴代政権で最も少ない。情熱に見合うだけの具体的行動が見えない。

 レイキャビクで成し遂げられなかった「宿題」を今も人類は追い続ける。真の廃絶へ向けた会議はいつの日か。その最適地は被爆地のほかあるまい。「ヒロシマ会議」。実現する指導者の行動力を待ちたい。

(2016年6月11日朝刊掲載)

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