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連載・特集

緑地帯 被爆地で奏でる 能登原由美 <2>

 「音楽で広島の復興を」。被爆から程なくして、広島を、また音楽を愛する若者たちが動き始めた。広島市とその近郊にあった学校の学生が集まり、100人以上もの集団となった彼らは、自らを「広島学生音楽連盟」と称した。

 1946年発足時の中心メンバーから話をうかがい、写真や資料を見せていただいた。戦時中は歌えなかった曲を堂々と歌える喜び。同時に、年頃の男女が言葉を交わすのさえはばかられた当時にあって、自由な交流の場としても重宝されたらしい。秘密の恋の話も数多く聞かせてもらった。

 彼らの活動は精力的だった。被爆の翌年から、四家文子、レオニード・クロイツァーたち著名な音楽家を東京から招聘(しょうへい)し、コンサートを開催する。市内周辺でわずかに焼け残っていた建物を使用し、花束の代わりに、校庭にあった松の枝を切って渡したというエピソードもあった。

 もちろん自分たちも舞台に立った。合同合唱団を結成して「ハレルヤ」を歌うこともあれば、郊外に出掛けて復興資金づくりのためのチャリティー・コンサート、あるいは専門家を招いての公開音楽講座まで開催する。ガリ版刷りの手書きの楽譜やレジュメの束が、復興にまい進する熱いエネルギーをひしひしと伝えてくる。

 戦後の学制改革により、その活動はわずか4年余りで閉じられた。彼らの活動については、ドキュメンタリー映画「音の記憶・つながり」としてDVDで刊行した。非売品だが広島市内図書館にあるので、ご参照いただきたい。(「ヒロシマと音楽」委員会委員長=京都市)

(2016年6月11日朝刊掲載)

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