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社説・コラム

『潮流』 山代巴の原点

■三次支局長・中井幹夫

 三次市の中心部にある三次町で、市文化会館の解体工事が進んでいる。市はこの跡地に観光交流を目的とした「三次地区拠点施設」(仮称)を2017年度中に整備する計画だ。

 かつてこの場所に、全国でも数少ない女囚専用の広島刑務所三次刑務支所があった。1942~44年に作家山代巴(12~2004年)が治安維持法違反の罪で収監されていた。

 「三次の刑務所で過ごした体験が、その後の山代の活動の原点になったのではないか」。そう思い、伝記となる「秋の蝶を生きる 山代巴 平和への模索」を著した佐々木暁美さんを市内の自宅に訪ねた。話を聞くうちに、それが確信に変わった。

 三次刑務支所で、山代は「自分を愛するように、他人も愛する」という考え方で、いろんな境遇の女囚や看守と接し心を通わせた。女囚たちも心を開き、自分たちの身の上を話していくようになった、という。

 長編小説「囚(とら)われの女たち」に収められている処女作「蕗(ふき)のとう」も、農家の嫁としてしゅうとめに虐げられ、夫にも裏切られ、家に火を放った女囚との出会いが基となった。

 こうした姿勢を貫き、戦後、中国山地の農村に分け入り記録を残すとともに「女性の自立」を訴え、被爆者と真摯(しんし)に向き合うことにもつながったように思う。

 14年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんは女性の教育の必要性を命がけで訴えた。山代もそれに匹敵する主張を半世紀以上前に、社会に問いかけてきたではないか。

 市が進める「三次地区拠点施設」構想では、江戸時代に三次町に御館があった三次藩の歴史などが中心となる。ただ、山代に関係する展示は予定していないという。残念な気がしてならない。

(2016年6月14日朝刊掲載)

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