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戦艦大和の謎に迫る 呉市潜水調査リポート <上> 71年目の姿

巨大な装備・傷痕残る

 呉市で建造され、東シナ海の海底に眠る戦艦大和の潜水調査のため、呉市は5月10~27日、長崎県五島市の男女群島の南176キロに、調査船「新日丸」(697トン)を派遣した。無人潜水探査機を使って巨艦の実像に迫る旅をリポートする。(今井裕希)

 「大きいなあ」「こんなサイズは初めて見た」。モニター前に集まった船員たちのつぶやきに驚きがこもる。

 遠隔操作する海底の無人探査機が送ってきた映像。ライトが照らし出すのは、敵との距離を測る測距儀だ。

 戦艦の主砲としては世界最大級といわれる「46センチ主砲塔」の側面に角のように取り付けられていた。箱型の横の長さは15メートル。一部からでも圧倒的なスケールがうかがえる。

 主砲塔は逆さの状態で、水深約350メートルの海底に横たわっていた。本来の上部は泥に埋まり、砲身は確認できない。ソナーを使い、残りの2基も離れた場所でみつけた。

 呉市の大和ミュージアムに展示されている海底のジオラマでは、大和は、艦首部と残りの艦央・艦尾部の大きく二つに分かれて沈む。逆さになった艦央・艦尾部には、爆発でできた穴が開く。

 しかし、海底にあるものを緯度、経度で記録できる音響測位装置とデジタル映像を使った今回の結果から、爆発の穴のサイズは従来より大きい可能性が浮上した。モニターで見る限り、艦央部と艦尾部は弓なりのようになって沈み、わずかな部分でつながっているという印象を受けた。

 調査範囲は、船体を中心に南北400メートル、東西450メートル。これまでの調査より広い。千発分積み込まれたとされる主砲の火薬缶が至る所に散らばっていた。「こんなところにまで」と市の学芸員たち。大和の爆発の煙は上空約600メートルまで立ち上ったと伝わる。大きさなどとともに、最期の様子が現代の技術で解明されつつある。

戦艦大和
 全長263メートル、基準排水量6万5千トン。1937年、呉海軍工廠(こうしょう)で起工。軍の極秘事項「軍機」とされた。太平洋戦争開戦直後の41年12月に完成。45年4月6日、米軍の沖縄上陸に対抗するため徳山港を出港し、翌7日に米海軍空母機の攻撃を受けて沈んだ。乗組員3332人のうち、3056人が犠牲となった。

(2016年6月14日朝刊掲載)

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