×

連載・特集

戦艦大和の謎に迫る 呉市潜水調査リポート <中> 平和の願い

靴底や食器 生活の面影

 5月18日夕、無人潜水探査機「はくよう」を海中から引き上げると、上部の一部が欠けていた。調査中、戦艦大和の装甲にひっかかり、削られたようだ。

 「普通の沈船とは違う。大和は相当硬い。探査機の方が壊れそうで近づくのが怖い」。探査機を船上から遠隔操作するオペレーターはそう明かした。

 大和に残る傷痕は、まるでレタスを割った断面のように鋼材などが折り重なる。船側の装甲の一部には特に、大和用に開発した硬いVH鋼板が使われていた。爆発でめくれ、とがった装甲に探査機が当たれば、無傷では済まない。

 探査機は縦2・5メートル、横1・5メートル。高さ1・8メートル。スクリュー6基で自力航行できる。暗闇の中、ライトで照らせる視界は5メートル。巨大な船体が生み出す複雑な海流。緊張の操作が続いた。

 外洋は時折、荒々しい表情を見せる。航海18日間のうち、計5日間は鹿児島県の枕崎港まで引き返し、雨風をやり過ごした。片道十数時間が無駄になる。

 5月16日には、枕崎港に停泊中、地元にある大和の乗組員の慰霊碑を訪ねた。3332人のうち3056人が亡くなった。「安らかに眠ってください」。調査船乗組員で呉市の戦艦大和会の花戸忠明副会長(76)はそっと手を合わせた。

 長さ30センチの棒状の火薬が散らばる海底。その中に靴底、ビール瓶、食器などもあった。「日常生活を感じさせるものを見るのは悲しいな」。船員の一人はそうつぶやいた。

 調査を終えた市産業部学芸課の新谷博課長(55)は「鮮明な画像資料などを使って、多くの人が亡くなった事実を伝える努力をしていく」と誓う。大和はいまも、平和へのメッセージを語り続ける。

<戦艦大和潜水調査の概要>
 呉市は5月10~27日、長崎県五島市の男女群島の南176キロの東シナ海に民間の調査船「新日丸」(697トン)を派遣。無人潜水探査機を戦艦大和が沈む水深約350メートルに潜らせ、デジタル映像での撮影や、レーダーなどによる計測をした。

(2016年6月15日朝刊掲載)

年別アーカイブ