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連載・特集

緑地帯 被爆地で奏でる 能登原由美 <6>

 被爆からわずか4年後、フィンランドの作曲家エルッキ・アールトネンが「ヒロシマ」の題を持つ交響曲を完成させた。曲は現地や欧州各地で次々に上演されていった。

 その交響曲第2番「ヒロシマ」は、やがて広島にもやってきた。1955年8月15日、戦後10年目の終戦の日に上演されたのである。朝比奈隆の指揮、関西交響楽団による演奏。その2年前に朝比奈がフィンランドを訪れた際、広島で演奏してほしいと作曲家自身にスコアを託されていた。

 会場は、開館して半年の広島市公会堂。昼夜2回の公演には計5千人が詰め掛けたと記録される。半信半疑であったが、フィンランドの図書館で見つけた公演時の写真を見て納得した。満員の客席、その後方には立ち見の客がぎっしりと並んでいたのである。

 「当時はどんな催し物もいっぱいになった」。公会堂の最後の館長、山科訓三さんに、開館当時の様子についてうかがったことがある。当初は音楽会だけでなく、ファッションショーやプロレス、映画上映などさまざまな催し物があったそうだ。フィンランドで見つけた別の写真では、会場入り口へと続く緩やかなスロープに人々が長い列をなしていた。

 ただ、山科さんはこの公演について記憶がないという。直前にあった第1回原水爆禁止世界大会の印象が強すぎたのかもしれない。あるいは、「8月は特別な緊張感に締め付けられる時期」だったと語る通り、あの日の記憶がまだ重すぎたのかもしれない。(「ヒロシマと音楽」委員会委員長=京都市)

(2016年6月17日朝刊掲載)

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