×

連載・特集

緑地帯 被爆地で奏でる 能登原由美 <7>

 被爆から70年が過ぎ、当時の凄惨(せいさん)な体験や、その後も受け続けてきた心身の痛みを語れる人は年々減り続けている。あるいは、今もその記憶を口にできない人も多いことだろう。そうした被爆者の言葉にし得ない思いを、音に託して伝える音楽もあるように思う。

 毎年8月6日の平和記念式典で演奏される「祈りの曲第1・哀悼歌」。既に40年にもわたり演奏されている。作曲家の川崎優さんが、被爆から30年目の1975年に作った曲だ。広島出身の著名な音楽一家に生まれた川崎さんは、観音(広島市西区)にあった親戚の家で被爆した。瀕死(ひんし)の重傷を負い、多くの親戚を亡くした。

 作曲の依頼を受けるも、10年間は断り続けたという。「原爆で名を売りたくなかったから」。作曲時の思いを尋ねる私には、犠牲者への祈りの言葉だけを口にした。川崎さんは「祈りの曲」を連作し、第7番まで完成している。

 冒頭、二つの音だけが静かに鳴り続けるピアノ作品「哀傷I」を作曲した竹西正志さんも、広島一中(現国泰寺高)の1年生だった時に被爆した。当日は体調を崩して欠席したため死を免れるが、多くの級友を失った。82年には「哀傷Ⅱ」をテレビの原爆特集のために作曲し、取材を受けるが、被爆のことも作品のこともほとんど語っていない。

 その思いは音だけが、それらの音を起こした時に伝えてくれるのであろう。川崎さん、竹西さんの祈りの音は7月9日、広島市南区民文化センターであるレクチャー・コンサートで再現される。(「ヒロシマと音楽」委員会委員長=京都市)

(2016年6月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ