×

ニュース

「原爆ドームと第五福竜丸 市民が守った平和遺産」展

■記者 北村浩司

 東京都江東区の都立第五福竜丸展示館で、「原爆ドームと第五福竜丸 市民が守った平和遺産」展が開かれている。12月21日まで。

 原爆ドームについては、保存のための募金活動の写真パネルや補修で取り外された、被爆した鉄枠、埼玉県の高校生が作ったドームの模型も展示した。福竜丸に関しても、廃船になった後の市民による保存活動の記録などが掲示された。

 福竜丸の保存運動は、ドームの保存に感動した男性の投書が新聞に掲載されたのがきっかけで、40年前に始まった。

 福竜丸無線長で被曝(ひばく)死した久保山愛吉さんの地元、静岡県焼津市立東益津小6年若杉翔太君(12)は修学旅行の途中に見学。「どちらも、みんなで大切にしていることがよくわかった」と話していた。

(2008年10月9日朝刊掲載)

「原爆ドームと第五福竜丸展」を企画した市田真理(いちだ・まり)さん(41)

■記者 北村浩司

 東京都江東区「夢の島」にある都立第五福竜丸展示館で学芸員を務める。福竜丸とドームは、どちらも核被害の象徴であると同時に、「市民運動が守った歴史があることを伝えたい」と強調する。

 マグロ漁船だった福竜丸が1954年の被曝(ひばく)後、大学の練習船を経て67年、廃船となり、夢の島に放置された。そのとき、新聞の「ドームを守った私たちの力でこの船を守ろう」という投書がきっかけになった。

 塗装し直したり、たまった水をかき出したり、多くの人が手弁当でかかわった末に76年、展示館が生まれた。「重くて大切なバトンをつないでいかないと」とかみしめる。

 しかし、気負いはない。絵画展や音楽会も企画する。散歩で立ち寄る人、思い出話にふける人。「気軽に来て何かを考える場にできたら。だから私は話しやすいお姉ちゃんでありたい」と笑う。

 日本大で歴史を学ぶ学生だったが、「ドームも福竜丸も、ほとんど知識がなかった」。知人に誘われて核被害の資料などを収集整理する「平和博物館を創(つく)る会」を手伝った。その過程で福竜丸の存在を知り、6年前から展示館の運営にもかかわるようになった。

 現在も週3日は展示館、残る4日は創る会で休みなく働く。「でも悲壮感はなく、2つの仕事が、それぞれいい気分転換になってます」

(2008年10月12日朝刊掲載)

関連記事
第五福竜丸事件から54年 隠された「核被害の真相」(08年3月 7日)
ビキニ被曝(ひばく)から54年 被災した第五福竜丸の元乗組員 大石又七さんにインタビュー(08年2月28日)

年別アーカイブ