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社説・コラム

天風録 「長崎のドーム」

 長崎に赴くと、原爆の爪痕を物語るもう一つのドームによく足を運ぶ。爆心地から約500メートル、崩壊した浦上天主堂のてっぺんにあった「鐘楼ドーム」である。猛烈な爆風で教会のある丘から下の川に転がり落ちて71年▲直径で5メートル以上、重さ約50トンのコンクリート製の残骸は撤去しようにもびくともせず、安全のために川の流れを変えたという話も。あの日の記憶を忘れるなと踏ん張ったのかもしれない▲隠れキリシタンの流れをくむ浦上の信徒たち。苦労を重ねて築いた天主堂は「東洋一」と誇りだった。戦後も教会再建が悲願であり、壁や柱、壊れた聖像など丘の上の廃虚は姿を消す。保存を願う市民の声もある中で▲被爆遺構が消えゆくさまは広島以上だったのだろう。浦上の地を歩いた世界的写真家の東松照明(とうまつ・しょうめい)氏は被爆21年後の爪痕の少なさに「東洋のナポリと呼ばれる美しい都市の内側に、堅く閉ざされてしまった」とも嘆いた▲平和への願いは閉ざされていない。教会再建にも尽くした永井隆博士が残した言葉が胸に響く。「原子野に泣く浦上人は世界に向かって叫ぶ。戦争をやめよ」。確かな継承に向け、あの鐘楼など5件の長崎原爆遺跡が国史跡になる。

(2016年6月19日朝刊掲載)

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