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母と弟妹 最期記す資料 広島の国分さん 資料館に寄贈 被爆の印鑑も

 原爆に家族4人を奪われた広島市中区白島九軒町の宝勝院名誉住職、国分良徳さん(87)が、父智徳さん(1972年に73歳で死去)が被爆時に身に着けていた印鑑や、母と弟妹の検視調書、死亡届など、家族が原爆の犠牲になった事実を示す一連の資料を原爆資料館(中区)に寄贈した。「大事に保存してもらい、家族を引き裂いた原爆の悲惨さを広く知ってほしい」との思いを託した。

 1945年8月6日朝、父は爆心地から約1・8キロの自宅でもある寺にいて被爆、建物の下敷きになったものの脱出。印鑑は、いざというときのため持っていたという。

 検視調書は、被爆時、同じ寺にいて亡くなった母ハルコさん=当時(41)、母に抱かれていた弟宥信(ひろのぶ)さん=同(1)、2人のそばで遺骨が見つかった妹和子さん=同(7)=の3人分の写し。東署の巡査の名前や、死因などが記されている。罹災(りさい)証明書は、原爆投下の翌7日に発行されている。

 「死亡届」には、建物疎開作業のため爆心地から約900メートルの場所に行っていた妹郁子さん=同(14)=を加えた4人の名前や死亡場所などが記され、父が持っていた印鑑が押されている。「なぜ手元にあるのかは分からない」という。

 学徒動員先に出掛けようとしていて被爆し、父と同様、建物の下敷きになりながら助かった国分さんは「家族の名が書かれた資料を見ると今も、つらい思いがこみ上げてくる」。資料館の下村真理学芸員は「同じ寺にいたのに生死が分かれた家族の悲しさや苦しみを伝える資料として多くの人に見てもらいたい」と話している。(増田咲子)

(2016年6月20日朝刊掲載)

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