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社説・コラム

『潮流』 大和と呉空襲

■呉支社編集部長 岡田浩一

 呉市の大和ミュージアムの見どころの一つに戦艦大和の模型がある。10分の1とはいえ、全長は26メートル。この迫力ある模型が実は、マイナーチェンジを重ねていることは、あまり知られていない。

 大和には謎が多い。建造自体が最高機密とされ、設計図は部分ごとに分けられていた。細部のサイズや形状について後世の研究が進むほど、模型の改修も必要になるというわけだ。

 呉市は5月、東シナ海に調査船を派遣。無人潜水探査機と最新機器で実像に迫った。詳細な解析結果は9月に公表する。模型の大規模な改修につながる成果を期待したい。既に、艦首に取り付けられた菊の紋章は、過去の調査結果で割り出したサイズより小さい可能性が浮上している。

 さらに、調査船に同乗した本紙記者によると、爆発で開いた艦央部の穴は、これまでの見立てより大きそうだという。傷痕の詳細な記録は、壮絶な最期をよりくわしく解き明かす手掛かりになる。海底に沈む大和を再現したジオラマも手直しがいりそうだ。

 大和は、当時の卓越した技術力と、これが産業復興の基盤になったとの側面から語られる傾向が強いように感じる。しかし、爆弾と魚雷の集中攻撃を2時間にわたって受け、若者たち3056人が散っていった悲劇も、今回の調査を通してあらためて胸に刻みたい。

 6月22日、呉市の殉国之塔で慰霊祭があった。塔には、呉海軍工廠(こうしょう)への空襲で、動員学徒たち476人が亡くなったと刻まれる。市街地を焼き払った7月1日から2日未明の空襲では、民間人の犠牲者が1800人を上回るといわれるが、全容は今もつかめていない。

 こうした被害も「大和建造の地」が後世に伝えるべき体験であろう。大和の実像と合わせ、呉空襲の実態にも一層、目を向けたい。

(2016年6月28日朝刊掲載)

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