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社説・コラム

別れの記 学徒出陣の元零戦搭乗員・大之木英雄さん

5月13日、94歳で死去 亡き戦友の心と歩む

 戦争が終われば、また大学に戻ってもっと本を読む。あるいはグラウンドを駆ける。「そう願って死んだ若者がいたことを覚えておいてほしい」。7年前、沖縄で学生たちへの証言をこう締めくくっていた。特攻を善悪で論じない。心ならずも出撃した同世代の仲間の死を背負うことを、終生の務めと考えた。

 1943年9月、東条英機内閣は文科系学生の徴兵猶予を停止した。第14期海軍飛行予備学生はそれまでの志願とは違い、徴兵による「学徒出陣」である。

 旧東京商科大(現一橋大)の3年だった大之木さんは元山(現在の北朝鮮・ウォンサン)の航空隊に配属される。元山では45年2月、零戦特攻隊の「七生隊」が編成され、鹿児島県鹿屋基地から米艦隊が北上する沖縄近海に出撃。14期では33人が戦死した。

 互いに「早稲田の誰それ」「明治の誰それ」などと呼び合っていた。学生特有の批判精神を持ち、昼は猛訓練の日々を過ごしても夜は談論風発。戦争にクールな見方をする仲間が少なからずいた。

 大之木さんも取材には「特攻は愚劣な作戦だったかもしれない」と前置きしていた。だが「若者たちの信念と行為は崇高なものだった」と付け加える。人は歴史の流れに身を置かざるを得ないこともある―。そう語ってもいた。

 沖縄で証言した年、盟友の景山崇人さん(タカキベーカリー元会長)を失う。景山さんは旧海軍兵学校出身で、沖縄特攻に向かう戦艦大和に乗艦して3日後、退艦命令を受けた。生と死のはざまを生きた男同士、肝胆相照らした。

 呉水交会会長として弔辞を読んだ大之木さんが「2人で学生たちを大いに激励してやろうと張り切っていたのに…」と声を詰まらせたことを思い出す。彼岸ではきっと、談論風発となるに違いない。(佐田尾信作)

(2016年6月29日朝刊掲載)

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