×

社説・コラム

『想』 山根美智子 「息子」とヒロシマ継承

 私には信(しん)ちゃんという名の「息子」がいる。永遠の5歳。20年以上の付き合いになる。

 1994~95年に夫の留学で1年間、米国で暮らした。現地では、ホームレスや高齢者の支援ボランティアをするなどして充実していた。日本に戻ってきて「何か新しいことをやりたい」と、始めたのが腹話術。人前ですごく緊張してしまうのを少しでも抑えられて、人前に出るのに抵抗なくなるかなあ、と挑戦した。

 信ちゃんはどこに行っても人気者。ワールド・フレンドシップ・センターの活動として毎月第3木曜日に訪問している原爆養護ホーム「舟入むつみ園」(広島市中区)では、皆さんが信ちゃんが来るのを楽しみにしている。「信ちゃん、よう来たね。手が冷たいねえ」などと話し掛けてくださるだけでなく、お菓子をいただくこともある。

 平和学習で小学校などに招かれる時も信ちゃんを連れて行く。子どもたちの前で、信ちゃんと掛け合いながら「伸(しん)ちゃんのさんりんしゃ」を聞かせる。原爆についての悲しい話だけど、子どもたちは信ちゃんに引きつけられて注目する。私1人じゃ、こうはいかない。平和使節として海外に出向く時も、もちろん同行させる。飛行機も一緒に搭乗する。

 実は、日本語もだが、英語で腹話術をするのは大変。PやFなどの破裂音が入っている単語は使えず、別の言葉に置き換えないといけない。反射神経も鍛えられる。しかし、信ちゃんのおかげで、海外でも原爆の話に興味を持ってもらえている。

 米国の平和活動家バーバラ・レイノルズが65年、被爆者医療に尽くした原田東岷医師とワールド・フレンドシップ・センターを設立して50年が過ぎた。しかし今なお核兵器はなくなっていない。高齢化で体験を語れる被爆者が減っている。ヒロシマを伝えていく大切さはますます増していく。伝える手段の一つとして、人前で緊張するのは変わらないが、これからも信ちゃんと頑張っていきたい。(NPO法人ワールド・フレンドシップ・センター理事長)

(2016年6月29日朝刊掲載)

年別アーカイブ