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被爆1ヵ月 米が映像に

 1945年8月6日の原爆で壊滅した広島で米国人カメラマンが9月3日に撮った映像が現存していた。日本映画社(東京)のニュース映像と同じ日に撮影された最も早い時期の記録。研究者の繁沢敦子さん(兵庫県西宮市)の調べを基に、米国立公文書館から入手し、広島市の原爆資料館との検証から撮影場所なども確認できた。ケーブルテレビの「ふれあいチャンネル」やホームページで配信している「1945原爆と中国新聞」で28日から映像を紹介する。(編集委員・西本雅実)

 撮影者は、映画会社MGMのニュースカメラマンなどを務めたジョン・ボックホースト氏(1954年、61歳で死去)。米大手メディアの特派員や軍広報官、通訳ら約20人からなる従軍記者団の一員として9月3日、神奈川県厚木飛行場から呉経由で広島に入った。

 爆心地となった広島市細工町(中区大手町)一帯の惨状や、市民らが歩く相生通り、爆風と炎上であめのように曲がった小田政商店の鉄骨や全焼した中国新聞本社(同胡町)などを収めている。

 映像は、米政府が第2次大戦中から戦後まで国内や海外で公開をした「ユナイテッド・ニュース」で「破壊された日本の初映像」と題し、広島の空撮も含め音声付きで約2分間使われた。

 「人口34万人の広島は原爆で消えた。1マイル(約1・6キロ)四方が壊滅し、見渡す限り荒廃した情景だ。これは科学の産物であり、日本が始めた侵略への最終的な回答である」などと解説している。

 ボックホースト氏は、戦後はエドワード・マローのニュースショーでも活躍。ワシントンの自宅で火災事故で死亡した。

 広島の惨状を地上から最も早く収め、現存する日本側の映像には、日本映画社の「原子爆弾 広島市の惨害」がある。昭和天皇が派遣した永積寅彦侍従に同行して9月3日に撮影。現在はNHKなどが所蔵している。

≪驚きが伝わる≫

 被爆地に入った米特派員らの第一報を追った「原爆と検閲」の著者、繁沢さんの話
  ボックホースト撮影の映像は、映画会社の「パラマウント・ニュース」でも使われている。特派員らは、陸軍航空軍の従軍記者でもあったが、広島の惨状は彼らの想像を超えていた。その驚きが一連の報道にはあり、映像からも伝わってくる。

(2012年4月22日朝刊掲載)

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