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社説・コラム

『潮流』 「桃源郷」の意味

■周南支局長・山中和久

 「食べてゆくものだけは自分たちで作る」。スクリーンの中で語られる言葉が印象深かった。

 戦後、南方から復員した田中寅夫さんが信念にしていたという。妻フサコさんの故郷に近い岩国市美和町の山を買い、切り開いた。高度成長期には3人の娘を育てるために大阪に出たものの、夫婦は還暦を過ぎて再び山に戻る。

 ドキュメンタリー映画「ふたりの桃源郷」は美和に戻ってからの夫婦と家族の25年を追った。周南市の山口放送が開局60周年を記念し、シリーズ番組を再編集。山口県内での上映はロングランとなっている。

 畑で季節の野菜を作り、山の恵みをいただく。湧き水を引き、まきで風呂を沸かし、煮炊きする。そんな山暮らしにも老いが静かにやってくる。がん、認知症、体の衰え…。畑も徐々に荒れてゆく。一緒に暮らそうと説得する娘たち。両親は感謝しつつ最期まで自分らしく生きることを望み、山を下りようとしない。

 家族は互いを大切に思う故の葛藤や模索を重ねる。やがて三女が夫とともに大阪で営むすし店を畳み、麓へ移住してくる。

 夫婦は時を置いてそれぞれ93歳の天寿を全うする。「金よりも食べること。こっちに帰ってきて初めて分かった」。山を継ぎ、畑を耕す三女の夫、矢田安政さんの言葉も深い。

 日本が戦争を始めた目的の一つがアジア各地からの資源収奪だったといえる。それが招いた悲劇を戦場で体験した寅夫さんが、生きざまを通して伝えたかったのは何か。平和という原点ではなかったかと思う。

 上映中、自分や家族を重ね合わせた人たちのささやきが聞こえた。私も父の運転がおぼつかなくなり戸惑ったこと、妻が義父をみとるまでの日々を思い出した。亡き夫婦の「桃源郷」が映し出したものを、あらためてかみしめている。

(2016年7月5日朝刊掲載)

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