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社説・コラム

社説 「核」司法判断20年 語られぬ「廃絶」の道筋

 核兵器の使用と威嚇は一般的に国際法に違反する―。オランダ・ハーグにある国際司法裁判所(ICJ)が歴史的な勧告的意見を出して、きのうでちょうど20年を迎えた。

 国家存亡に関わる自衛の場合には「違法か合法か結論を出せない」とした判断を巡って当時、違法性を求めていた被爆地から不満の声が上がったことは事実だろう。しかし核兵器の使用などは「特に人道に関する法律に違反する」との指摘の重みは今も変わるまい。

 その上で核軍縮の必要性を強く求めた国際的な司法判断が、その後の世界が目指すべき方向性だったはずである。「核兵器なき世界」をうたったオバマ米大統領の2009年のプラハ演説も、その流れにある。

 踏み込んだ勧告的意見は時代背景と関係していよう。東西両陣営が一触即発だった冷戦が終わり、膨らんだ核兵器を何とかしなければという危機感が共有されつつあった。人類全体の脅威という認識が世界に広まり、廃絶を求める国際世論のうねりが確かに広がっていた。

 ハーグにおいて広島、長崎両市長が陳述したように、被爆地からの訴えが後押ししたことは言うまでもない。

 ただ勧告的意見とは逆行してこの20年、核を巡る状況は混迷を深めてきた。北朝鮮の核・ミサイル開発は進み、米国とロシアの対立から核軍縮は停滞が続く。イスラム過激派も台頭し、核テロのリスクも高まる。

 20年の節目に、被爆地広島の地を踏んだオバマ氏は、あらためて「核兵器なき世界」を口にした。本来なら核保有国も含めて国際社会がICJの司法判断の意義に光を当てるべきだろう。しかし歴史的訪問から1カ月半、むしろ世界では核兵器廃絶への本質的な議論が停滞しつつあるのではないか。

 核兵器禁止条約を求める国際世論は依然強い。一方で国連の核軍縮作業部会で浮き彫りになったように条約化を阻む保有国側との溝は埋まっていない。

 さらに肝心の米国でも日本の核武装すら容認したトランプ氏が共和党の大統領候補に事実上決まり、民主党のクリントン氏からも核兵器を巡る発言は聞かれない。このままでは大統領選で廃絶への道筋が論じられそうになく、オバマ氏退任後、「核兵器なき世界」が具体的に進むのかは非常に危うい。

 日本国内でもある意味では状況は同じだろう。オバマ氏の広島訪問後、聞こえてくるのは、訪問自体の意義を強調する声ばかりだ。核兵器を巡る国際情勢が変化したわけではないのに。

 あす投開票を迎える参院選でも、安倍晋三首相が広島で誓ったはずの核兵器廃絶に関して、与野党の論戦が素通りに近かったのは残念だ。

 とりわけ与党はオバマ氏が首相と広島を訪問したことを日米同盟の強化の象徴としてうたってきた感もある。だが現状が米国の「核の傘」の下にあることとの矛盾は全く語っていない。

 核兵器廃絶を本当に目指すなら新たな戦略が迫られていることを肝に銘じる必要があろう。

 今こそ核兵器の非人道性を告発する国際潮流の源流ともいえる勧告的意見を胸に刻みたい。被爆地としても原爆被害の実情をさらに世界に広め、世論のうねりを紡ぎたい。

(2016年7月9日朝刊掲載)

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