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社説・コラム

『潮流』 ある戦後自分史

■論説主幹・佐田尾信作

 「昭和の子」(弦書房)と題した自分史が送られてきた。著者は毎日新聞で記者を全うした後、福岡市で出版社の経営に転じ、引退後は松江市に帰郷した三原浩良さんである。程なく傘寿。あとがきにも「昭和91年春」と記すなど、昭和へのこだわりが強い人だ。

 「自分史だけは書くな」と自分に言い聞かせてきたが、「戦後民主主義を虚妄にしてしまう」昨今の世相に危機感を抱く。そのために自身の半生をあえて書き物にした。

 戦後間もない頃、学んでいた島根県立松江高は教師も生徒も反骨心に満ちていた。ある時、新聞部員たちが米子市にある米兵専用の特飲街へ突撃取材して「夜の米軍基地ルポ」と題する特集を学校新聞に載せた。一般の新聞が「赤い学生新聞に県当局が警告した」といった記事を載せるや誤報だと訂正を求める抗議行動に三原さんも加わった。

 文相も務めた哲学者天野貞祐氏が高校へ講演に訪れた時は「あの戦争にあなたの責任はなかったのか」と詰問。氏は「学生は黙って勉強していればいい」と反論した。そこで高校に講師の人選について注文を付け、要望を通した。

 こうしたくだりを読むうち国政選挙では参院選から認められる「18歳選挙権」が頭に浮かんできた。今ならどのように政治や経済に関心を持ってもらうか、大人が頭を悩ませている。時代の空気というものはこれほどまでに違う。

 半世紀ぶりに松江で暮らし、地域の教師の集まりに呼ばれた三原さんは、活気に満ちた授業を思い出して戦後民主主義について語った。すると「尖閣(諸島)はどうするんだ」となじられ、「外交手段を尽くす」という説明を笑われた。

 理想は常に現実に敗北するが理想の旗は簡単には下ろせない―と「昭和の子」は結ばれる。老記者は選挙結果をどう見るのだろう。

(2016年7月9日朝刊掲載)

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