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社説・コラム

今度こそ真の「熟議」を 参院選 編集局長・江種則貴

 今回の参院選は与党にも野党にも、追い風はさほど吹かなかったとされる。むしろ半数近くの有権者の棄権を思えば、投票をためらわせる「逆風」が吹いたと考えた方がしっくりくる。

 どの候補や政党に1票を投じればいいのか分からない。これまで以上に、そんな声を多く聞いた。

 それは「熟議の府」と呼ばれる参院の構成メンバーを決める選挙なのに、政党や候補者同士の政策論議が一向に深まらなかったためだと思えてならない。

 与党で改選過半数を確保した安倍晋三首相はきのう「アベノミクスが力強く信任された」と胸を張った。本当にそう言い切れるだろうか。野党側は選挙期間中、政権批判は繰り返しても、これという対案は示せなかった。結局、そこではないか。

 これでは、新たに有権者の仲間入りをした18、19歳が戸惑ったとしても無理はない。少子・超高齢時代の経済成長論と連動するはずの社会保障の財源や世代間負担を巡る論議も、ほとんど聞こえてこなかった。この国と自分たちの未来に得心できた若者が、果たしてどれだけいただろう。

 投票率の伸び悩み要因をあれこれと考える時、参院が何のために存在するのかという素朴な疑問があらためて頭をよぎる。

 わが国の二院制では法案や予算の議決、首相指名などは衆院が参院より優越する。その「数の府」と呼ばれる衆院には解散があって議員の任期は流動的となるが、参院議員は1期6年が保障されている。

 こうした違いは、参院議員が所属政党の意向ばかりに縛られず、時の政策や法案を冷静にチェックする機能を期待されてのことといえるだろう。「衆院のカーボンコピー」では、二院制の意味が薄れてしまう。

 そうした参院の独自性が見えにくくなっている現状と、今回の棄権の多さは、決して無縁ではあるまい。参院全体の熟議力が問い直されているのだと、当選した全議員は胸のバッジの重さをかみしめてほしい。

 安倍政権は今回、憲法改正の発議が可能な「3分の2」を両院で確保した。だが勘違いしてもらっては困る。有権者からすれば、改憲の具体的な進め方を真正面から問われたとは到底思えない選挙戦だったのだ。

 以前も、熟議とは程遠い選挙が終わった途端、安倍政権は信を得たとばかりに特定秘密保護法や安全保障関連法の成立へと走った。同じことの繰り返しは、あり得ない。

(2016年7月12日朝刊掲載)

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