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[Peaceあすへのバトン] アナウンサー・出山知樹さん 「命の尊さ」考え伝える

 5月27日の朝、勤務するNHK広島放送局(広島市中区)は緊張感に包まれていました。米国の現職大統領が初めて被爆地広島を訪れる日。その一挙手一投足を逃さず捉えようと、応援のスタッフ約100人も駆け付けていました。新人記者には「この71年で起きなかった事が実現しようとしている。しっかり目に焼き付けて」と励ましました。

 局内のニュースフロアで聴いた演説。「核兵器廃絶に向けた決意を述べるのでは」。そう期待していただけに、形式的な内容だという印象を抱きました。しかし、被爆者と向き合った時のオバマ氏の表情にはリアルな感情が浮かんでいたように思えます。

 8月6日でなくても、ヒロシマが世界から注目されました。核兵器廃絶に向け、世界との「温度差」が縮まるきっかけになったのではないか。存在感も高まったような気がします。1回の「イベント」に終わらせず、未来に生かすことが、僕たちの役割です。

 被爆について、映画で描いた経験もあります。2度目の広島勤務の時、無我夢中で作った「運命の背中」。原爆投下から60年が過ぎ、きのこ雲の下で何が起きたかを知らない人が増える中、見た人に関心を高めてもらうのが目的でした。

 映画監督になるのが夢でした。13歳の時にSF映画「E.T.」を見て感動したからです。大学でも映画研究会に入りましたが、入局後は仕事をこなすだけで精いっぱい。40代にさしかかり、映画を作りたいという渇望がありました。

 作品は、「原爆1号」と呼ばれた被爆者、吉川清さん(1986年に74歳で死去)の話を、妻生美さんから繰り返し聞いて制作しました。米国人記者に背中のケロイドを撮られた吉川さんの「心の被爆」も交え、被爆者の内面も表現しています。その生美さんも2013年に92歳で亡くなり、使命感が芽生えました。「これからは自分が吉川さんのことを伝えないと」

 広島で被爆60、70年の節目と、オバマ大統領の訪問に立ち会えました。出身地を襲った阪神大震災、東京勤務では東日本大震災について報道するなど、多くの人が犠牲になる場面に遭遇しました。「命の尊さ」について考えることを、自分のテーマに据えています。

 悲劇を繰り返さないためにどうすればいいのか考え、できることから行動することが大切です。それが体験を引き継ぐことになります。自分も見て、聞き、感じたことを総動員してヒロシマのメッセージを伝えていきます。(文・山本祐司、写真・河合佑樹)

でやま・ともき
 神戸市垂水区出身。金沢大卒業後、1992年にNHK入局。アナウンサーとして活躍する傍ら、趣味の映画作りも続け、2009年に被爆者の夫婦を描いた「運命の背中」を自主制作。15年から3度目の広島勤務。

(2016年7月12日朝刊掲載)

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