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社説・コラム

『この人』 平和記念式典で平和の鐘を突く遺族代表 亀本宗祐さん

祖母から継ぐ願い 胸に

 己斐東小(広島市西区)の教諭で、11歳、9歳の2人の娘の父親だ。「子どもを守り、育む責任」を強く意識する日々。「子どもたちが二度と、核兵器や戦争の犠牲にならない未来をつくりたい」。8月6日、平和記念式典で遺族代表として突く「平和の鐘」の音に、そんな思いを込めるつもりだ。

 71年前のあの日、曽祖母の増本ユキヨさんは今の中区堺町で被爆死した。39歳。通院のため西区福島町の自宅を出た後だった。ユキヨさんの娘たちが捜したが、現場には無数の遺体。見つけた衣服だけを持ち帰り、遺骨に代えた。

 ユキヨさんを捜した娘、中井ヤス子さん(88)が母方の祖母。ヤス子さんからその話を初めて聞いたのは小学4年の時だ。母親に「聞いておきなさい」と勧められた。祖母はうつむき、ゆっくり記憶をたどるように惨状を口にした。「衝撃的だった。思い出したくなかったのでは」

 その経験が、高校生の時の平和ゼミナール活動につながったという。18年前、小学校教諭になってからは、身近な体験を基に児童たちが平和について考えてくれればと、被爆樹木の生い立ち調査や似島(南区)での遺構巡りなど野外活動を大切にしてきた。

 今回の大役が決まった後の6月下旬、ヤス子さんを訪ね、約30年ぶりに体験を聞いた。「鐘の音で多くの人が平和への祈りをささげてほしい。祖母へのお返しになるはず」。この夏休みには、かつての自分のように、娘たちにも祖母の体験を聞かせようと考えている。

 西区で妻(40)、娘2人と暮らす。(長久豪佑)

(2016年7月13日朝刊掲載)

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