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連載・特集

オバマ米大統領を迎えた夏 原爆投下国のまなざし <上> あの日

悲劇の本質伝わらず 演説・折り鶴 「美しく」

 米国が広島に原爆を落として71年。現職の米大統領として初めてオバマ氏が5月27日、被爆地を踏んだ。原爆犠牲者を追悼し、「核兵器なき世界」を追求する決意を世界へ発信するためだった。平和記念公園(広島市中区)にいたのは52分。短い時間で、その目的をどう果たそうとしたのか。ベン・ローズ大統領副補佐官(38)ら側近への取材を軸に、オバマ氏の広島訪問の実像を探る。(金崎由美、岡田浩平)

 「大統領の表現の方が素晴らしかった。1行目は完全に彼が書いた。僕のはあんなに美しくなかったんだ」。6日、ワシントンのホワイトハウスで中国新聞の単独インタビューに応じたローズ氏が明かした。2009年のプラハ演説も手掛けたスピーチライター。そのローズ氏による「ヒロシマ演説」草稿の余白にオバマ氏自身が言葉を書き込み、あの文章は完成した。

 「71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」

何度も書き直し

 演説の名手として鳴らすオバマ氏。ローズ氏が「通常はしない」と驚くほど自らの手で何度も書き直し、こだわった「第一声」は詩的で、平和記念公園に招いた聴衆を一気に引きつけた。

 そして、原爆投下直後を「閃光(せんこう)と炎の壁」と表現した。調査班に集めさせた被爆体験記を読み込んだローズ氏はあの日の様子を「本当の意味で描写できない。一つとして同じ証言はない」と感じていた。オバマ氏もまた「一般化した言葉」の方が、すさまじさを表せると考えたようだ。

 ただ、これらの描写は全て、原爆を落としたのが米国だという「主語」を欠く。その指摘にローズ氏は「だれが落としたかは、みんな分かっている。だから控えめな表現にした」と反論した。

 オバマ氏が原爆資料館で見た一部の展示の中で、最も印象に残った品も「美しい物」だった。

非人道性の象徴

 館内にいた時間は10分。東館1階ロビーに特設された被爆者の遺品や写真に向き合ったのは数分にすぎない。オバマ氏は特に、2歳で被爆し10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんが病床で回復を願って折った鶴に心を動かされ、「なんと美しいことか」と述懐した。自作したという折り鶴を、その場に立ち会った地元の小中学生2人に渡す「サプライズ」までした。

 その「美しい」折り鶴はしかし、核兵器の非人道性の象徴である。被爆者は、あの日を生き延びたとしても、放射線によって遺伝子を傷つけられ、長年にわたり苦しめられる。その非人道性に、オバマ氏は明確に言及しなかった。

 ただ、ホワイトハウスは「滞在時間は短くても、さまざまな物語と触れ合う機会」を設けようとは試みた。演説後、オバマ氏は会場に招いた被爆者のうち、最前列に座った日本被団協代表委員の坪井直さん(91)=西区=と歴史研究家の森重昭さん(79)=同=に歩み寄り、声を聞いたのもそのためだ。

 「2人は多くの被爆者を代表する責任を感じながら語ってくれ、核兵器反対への思いを再確認できた」とローズ氏は言う。「5・27」からおよそ1カ月半。遺品と向き合い、被爆者と対面したオバマ氏は、ヒロシマの重みをどう受け止めたのか。被爆地からはまだ、見えない。

≪演説抜粋≫

・71年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。閃光と炎の壁は都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを実証した。
・いつか証言する被爆者たちの声は聞けなくなる。それでも1945年8月6日の朝の記憶を風化させてはならない。その記憶はわれわれが安心感に浸ることを許さない。われわれの道義的な想像力の糧となり、われわれに変化をもたらしてくれる。

(2016年7月13日朝刊掲載)

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