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連載・特集

オバマ米大統領を迎えた夏 原爆投下国のまなざし <中> 過ち

国際法違反考慮せず 「市民の犠牲」理解の跡

 1945年8月6日。米国が初めて人類の頭上に落とした原爆は、広島の市民を殺りくした。この事実に、オバマ米大統領は5月の「ヒロシマ演説」で「10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、多くの朝鮮半島出身者」を追悼の対象に挙げる形で触れた。

 原爆投下という非戦闘員への無差別攻撃が当時の国際法違反と認識していると米国内で批判される可能性を考えなかったのか―。今月6日の中国新聞の単独インタビューで、ローズ大統領副補佐官(38)の答えはこうだった。「45年の国際法の本質についてわれわれは検討しなかったし、考えなかった」

根強い正当化論

 演説で指摘したかったのは、第2次世界大戦で当事国のリーダーたちが市民の殺りくに関わり、その最たる技術の使用が原爆投下という点だ、とローズ氏。「戦争する衝動と、(核兵器という)技術の保有が合わされば、広島の悲惨な経験が繰り返される」。だからオバマ氏は国際法を守り、発展させ、道徳的に目覚めよと呼び掛けた、と。

 米国内では原爆投下を正当化する考えは根強い。投下は国際法違反との考えに少しでも踏み込めば、被爆地訪問という「レガシー(政治的遺産)」は批判にさらされかねない。広島訪問発表時から政権は「われわれのリーダーが非常に困難な環境下でしたことを後からとやかく言わない」という姿勢を貫いた。

 71年前のリーダー、トルーマン氏は原爆投下16時間後、声明を出した。「1機の米軍機が日本の主要軍事基地の広島に1個の爆弾を投下した」とし、民間人の犠牲を想像させず「革命的な破壊力」と科学を称賛した。それに比べれば、オバマ氏の演説には、原爆がもたらした「人間的な悲惨さ」を理解しようとする姿勢はうかがえる。

にじむ「繊細さ」

 広島入りした際のローズ氏の回想にも通じる。広島ヘリポート(広島市西区)から平和記念公園(中区)に向かう車窓から見た市民の歓迎ぶりに「あふれ出るような感情」に見舞われたという。「広島へようこそ」という英文メッセージを掲げた笑顔の少年を挙げ「71年前だったら、この男の子に何が起こっていただろうかと思った」。

 「オバマ氏もローズ氏も繊細さを持っていると思った」。広島で被爆後、カナダに移住したサーロー・節子さん(84)は6月6日、ワシントンであった米シンクタンクの会合にローズ氏とともに招かれた。その時、ローズ氏から直接、広島訪問の感想を聞き、そんな思いを強くした。

 一方で、ローズ氏に伝えた。「大統領がおわびするなら受け入れる。しないとしても、米国の政治環境を考えれば理解します」

 それから1カ月を経て、中国新聞の取材に、被爆者として「謝罪」にこだわる真意を打ち明けた。「大統領は本来おわびすべきだ。人間への不正義に対する怒りを、私たちは忘れてはならないから。それが『二度と同じ思いを他の誰にもさせてはならない』という前向きな行動のエネルギーになる」

≪演説抜粋≫

・なぜわれわれはこの地、広島に来るのか。それほど遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力について考えるためだ。10万人を超える日本の男性、女性、子どもたち、多くの朝鮮半島出身者、そして捕虜となっていた十数人の米国人を含む犠牲者を追悼するためだ。
・戦争は、初期の部族間の争いを引き起こしてきたのと同じ支配・征服の基本的本能によって生まれてきた。新たな抑制を伴わない新たな能力が昔からのパターンを増幅させた。
・数年の間で約6千万人が死んでしまった。われわれと変わることのない男性、女性、子どもが撃たれたり、打ちのめされたり、行進をさせられたり、爆弾を落とされたり、投獄されたり、飢えたり、毒ガスを使われたりし、死んだ。
・技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ、われわれを破滅に追い込む可能性がある。原子の分裂につながる科学の革命は、道徳的な革命も求めている。

(2016年7月14日朝刊掲載)

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