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「辻詩」に託した反戦の志 四国五郎展 埼玉 原爆の図丸木美術館 記録し伝える

 峠三吉「原爆詩集」の表紙絵を手掛けるなど、被爆地広島から反戦平和への思いを絵筆に託し続けた画家四国五郎(1924~2014年)。関東では初めてとなる大規模な回顧展が、埼玉県東松山市の原爆の図丸木美術館で開かれている。(森田裕美)

 「四國五郎展 シベリア抑留から『おこりじぞう』まで」。戦争体験に根差した力強い作品群は、丸木位里・俊夫妻がライフワークとして描き続けた「原爆の図」にも通じ、戦後広島の文化運動の息遣いを伝えている。

 油絵やスケッチなど約80点が並ぶ同展で、異彩を放つ一群がある。3年間のシベリア抑留を体験し、古里に戻った四国が50年ごろ、峠と交流する中で生まれた「辻詩」。社会への鋭い批判を絵と詩のセットで表現したポスターのような作品だ。

 時は米国を中心とする連合国軍の占領下。朝鮮戦争が勃発し、米軍が原爆の使用も検討する中、厳しい言論統制が敷かれていた。人通りの多い町辻の壁や電柱に画びょうで張っては、危ないと感じると取り外して逃げたという。

 「われらは語りつぎ うたいつぐ 祖国の地上にふみにじられた ひとびとえの 愛と怒りとにくしみと」とつづる詩の背景に靴跡が描かれた辻詩は、米国旗を思わせる色使い。占領政策への抵抗がにじむ。別の辻詩は、きのこ雲の下の惨状を想起させる半裸でよろめく親子のシルエットと詩の組み合わせ。原爆で焼かれて不戦を誓った国の米軍基地から、爆撃機が飛び立つさまを指弾する。

 「朝鮮戦争が始まってからは、作品というより反核闘争の手段になった」と四国は後に回想している。100枚は作ったというが、多くは没収されたりなくなったりして、現存するのは8枚のみ。今回、そのすべてが展示されている。四隅に残る無数の画びょう跡が、当時の緊迫した空気と抵抗の軌跡を伝える。

 「作品が残らないと分かっていて、危険を顧みず延々とやり続けた。普通の絵描きでは考えられないことだと思う」と長男の光さん(60)。武蔵大の永田浩三教授との対談で語った。今月、四国の足跡をまとめた本を刊行した永田教授は「画家として表に出ることではなく、メッセージを伝えることを何より大事にした」と応じた。

 本展には、その言葉を証明するように、分かりやすい画風で平和への願いをまっすぐに届ける母子像などが並ぶ。過酷なシベリア抑留の間にこっそり書き続け、靴にしまって持ち帰った「豆日記」や、それらを基に戦後描き上げた千ページにも及ぶ絵日記風の自叙伝、被爆死した弟を題材にした作品…。記録し、伝えることへの執念があふれ出す。

 丸木夫妻が30年以上にわたって共同制作した「原爆の図」を常設展示する同館。今回、四国と夫妻との接点を示す作品も展示されている。その一つ、しなやかな線が趣深い四国の肖像画は、50年に俊が描いた。

 この年、「原爆の図」の全国巡回展が広島から始まる。峠らと共に開催に協力した四国は、夫妻と面会して俊に絵を描いてもらったことや、俊が辻詩に強い関心を示したことを日記に書き残している。

 本展を企画した岡村幸宣学芸員は、占領下に表現で抵抗を続けた四国と丸木夫妻に多くの共通点を見る。「戦争の記憶が遠ざかる中、彼らが何を残したいと願い、描き続けたのか、考える機会にしてほしい」と話す。9月24日まで。

(2016年7月14日朝刊掲載)

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