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戦前の舟入病院 120年誌に刻む 原爆で記録焼失 新たに証言や資料 広島市中区

 広島市中区の市立舟入市民病院が、開設120周年記念誌を作った。新たに証言や資料を集め、建物や記録が原爆で焼失する以前の病院の姿を記録した。(栾暁雨)

 同病院は、旧陸軍の病院分室を前身に1895年8月、広島市西避病院として現在地に設置された。開設120周年を控えた昨年5月、病院に関する県や市の記録を集め始めたところ、戦前の写真は市公文書館が所有する1枚のみ。同10月から市民に資料を募った。

 東広島市の吉井トシ子さん(70)は、戦前に病院が併設していた見習い看護師養成所に通っていた母の寺下(旧姓宇土)ヨシヱさん(97)=江田島市=の修業証書(1935年9月30日付)を提供した。舟入市民病院は寺下さんの元に職員を派遣。「病院で雑務をしながら手当をもらい、養成所で看護や消毒の知識を学んだ」という証言を得た。

 広島市安佐北区の福井秀孝さん(75)は、36~42年に内科医として病院に勤務した父孝道さん(44年に35歳で死去)の日記や写真30枚を提供。写真は伝染病棟や併設の衛生試験所などの施設や「見習看護婦卒業式」と説明文を付けた集合写真6枚もあった。

 市公文書館によると、見習い看護師養成所は28年に養成規定を記した資料が残るだけで、正式名称は分からないという。記念誌の編集委員長を務めた兵藤純夫副院長(64)は「病院関係者でも不明な点が多く、証言や写真提供は貴重」と感謝する。

 A4判、172ページ。350部作成した。県立図書館や広島市立中央図書館などで閲覧できる。

舟入市民病院
 1895年8月、広島市西避病院として開設され、1906年4月に広島市船入病院に改称。71年11月に市立医療機関の再編で広島市立舟入病院となる。地方独立行政法人の市立病院機構による運営に移行した2014年4月から舟入市民病院となる。

(2016年7月15日朝刊掲載)

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