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元兵士が語るノモンハン 浜田水産高放送部、「平和ビデオ」最優秀

さおに爆弾付け突入/背負う弾 重くて埋めた

 1939年夏、旧満州(中国東北部)とモンゴルとの国境で日本軍とソ連軍が衝突したノモンハン事件へ島根県から参戦した元兵士のインタビューに、浜田水産高(浜田市)の放送部が取り組んだ。90歳代半ばの元兵士の証言を記録した映像作品のタイトルは「語られざる戦い」。最前線の兵士の視点から戦闘の実態に迫り、平和祈念展示資料館(東京)が主催する平和祈念ビデオ制作コンクールで最優秀賞を受けた。(石川昌義)

 6人の放送部員は2010年9月から1年かけ、出雲市と益田市に住む元兵士3人に戦争体験を尋ねた。

 「竹ざおの先に爆弾を付けて、敵の戦車の下に仕掛けた」「戦友の命は軽いものにさせられた」…。マイクを向けると、ソ連軍の戦車部隊に肉弾戦を挑んだ実態が語られた。

 積極的に語る人ばかりではない。益田市の元兵士は「本(手記集)に書いてあるから、見りゃあ分かる」「自分の見解を述べる立場にない」と繰り返した。

 取材に付き添った家族が「生きとるうちに言わにゃあ」と促しても、言葉が続かない。負傷で自分が戦線離脱した後に部隊が全滅したことに触れ、ようやく「あの時、けがをしなかったら、ここに生きていることはない」とつぶやいた。

 同校を今春卒業した元放送部長の螺山(ほらやま)光さん(18)は、戦争体験を本格的に聞くのは初めてだった。「伝えたいという姿勢とともに、生き残って申し訳ないという気持ちを強く感じた」と振り返る。

 ノモンハン事件を取材対象に選んだきっかけは、元兵士の遺族で同校の書道講師が世話役を務める「ノモンハン会」の例会で、記録係を頼まれたことだった。

 聞き取りを始めてぶつかったのは、世代の壁だった。まず、話す内容がよく分からない。例えば「グンキホウショウ」。放送部顧問の佐々木玲子教諭(39)は「どんな漢字を当てるのかも見当がつかない。根掘り葉掘り聞いてやっと、玉砕前の部隊が敵に軍旗を奪われる前に焼く『軍旗奉焼』という言葉を知った」と明かす。

 「背負っていた弾丸が重くて、こっそり土に埋めた」「戦場で居眠りした」…。肉声の積み重ねから、一人一人の兵士の姿が見えてきた。螺山さんは「自分が兵士だったら」と想像しながら質問を重ねた。

 インタビューの収録は計9時間に及んだ。10分の作品にまとめる編集作業は難航した。「なぜ、多くの兵士が帰国後、口をつぐんだのか」に焦点を当てると、作品の構成が浮かび上がってきたという。

 佐々木教諭は「取材した部員は『聞いた者の責任がある』と言っていた。心に長い間ためた苦しさに触れ、教科書では知り得ない戦争の一面を学び取れた」と力を込めた。

ノモンハン事件
 1939年5月、日本が中国東北部につくったかいらい国家である満州国とモンゴル人民共和国の両国警備隊の衝突から、日本軍とソ連軍の本格的な戦闘に発展した。モンゴル領内に戦線を拡大した日本軍は、戦車部隊による反撃で大打撃を受けた。同年9月、モスクワで停戦協定を結んだ。

(2012年4月30日朝刊掲載)

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