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オバマ氏に贈った「あの日」の記録 被爆した弁当箱の写真/「原爆の絵」の図録 広島訪問時に資料館

 広島をオバマ米大統領が訪問した際に、市の原爆資料館が被爆の実態を伝える記録を贈っていた。12歳で死去した少女が「あの朝」携えた弁当箱の写真や、収蔵資料と市民が描いた原爆の絵を紹介した日英両語の二つの図録だ。日米の関係者への取材から分かった。(西本雅実)

 弁当箱は、市立第一高女(現舟入高)1年だった渡辺玲子さんの遺品。母タカさん=当時(41)=が、入手した米にダイコンや豆をまぜて持たせた。

 1945年8月6日、市女1、2年生は木挽町、現在の平和記念公園南側一帯の建物疎開作業に学徒動員された。集合場所は爆心地の約550メートル。作業に出た生徒541人が全滅した。

 翌7日、三つ年上の姉桂子さんが作業現場跡で、アルミ底の裏に「渡辺」と自らが針で彫っていた弁当箱を見つけた。岡山郵便局に赴任中の父茂さん=当時(45)=も駆け付けて捜したが、遺体は見つけられなかった。形見の弁当箱は両親が70年に資料館へ寄せた。

 玲子さんは3人姉妹の次女。妹の益田直子さん(77)=広島市中区=が、同居してみとった両親から聞いた「あの朝」を語った。

 「作業を休みたいと言った姉を母はたしなめたそうです。後ろを振り返って手を振った姉の姿が別れでした。母は月命日の墓参を続けましたが、父も最期まで話したがりませんでした」

 贈呈された写真は、資料館所蔵の「ヒロシマ・コレクション」(1995年刊)に収められた1枚。写真家土田ヒロミさんがモノクロ撮影し、2010年から額装(361×280ミリ)した写真を館に寄せる。館は「ランチ・ボックス」との英文説明を付け、海外元首の訪問には贈っている。

 玲子さんの黒く炭化した弁当箱はレプリカ(複製)も作られ、広島、長崎両市などが昨年にワシントンのアメリカン大で開いた原爆展でも展示された。直子さんは「戦争はしてはならないという犠牲者や両親たちの思いが、世界中の人に伝わってほしい」と願う。

 米大統領の5月27日の被爆地訪問に際しては、資料館の図録「ヒロシマを世界に」と編集した「図録原爆の絵」に加え、ミシェル夫人宛てには、石内都さんが館で撮った写真集「Fromひろしま」(2014年刊)を贈った。

(2016年7月18日朝刊掲載)

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