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被爆体験 40代僧侶が伝承 原爆資料館で2人が講話開始 

悲しみ・痛み理解 「非戦平和の力に」

 広島市内の40歳代の僧侶2人が今春、同市中区の原爆資料館で「被爆体験伝承者」として活動を始めた。市の公募に応じて計3年間の養成研修を修了し、広島平和文化センターの委嘱を受けた。被爆者から研修などを通じて聞き取った体験談を観光客たちに語り、命の尊さや、非戦平和への思いを伝えている。(桜井邦彦)

 被爆者に代わって原爆被害を語る伝承者は、被爆者が高齢化して証言活動が難しくなり、市が2012年度に養成を始めた。今春までに研修を終えたのは、主婦や定年退職者たち計75人。日蓮宗本覚寺(広島市中区)の渡部公友副住職(45)と、浄土真宗本願寺派浄寶(じょうほう)寺(同)の諏訪義円住職(43)も名を連ねる。

 渡部副住職は6月末の木曜日、資料館東館1階で伝承講話に臨んだ。5年前から続けていた証言活動を体調不良でやめた新井俊一郎さん(84)=南区=の体験談を伝えた。

 広島高等師範学校付属中(現広島大付属中)1年だった新井さんは8月6日、「農村動員挺身隊」として赴いていた原村(現東広島市)から入市被爆した。渡部副住職は、大やけどを負った姉妹が手をつなぎ、励まし合って逃げていたという体験談を引用し、「話を聞いた時、うちの娘は幼稚園児。子どもがそんな目に遭ったらと思うと涙が止まらなかった。どんな理由があっても戦争はいけないと誓った」と自らの思いも語った。

寺は全壊全焼

 講話は約10人が聞き入った。大阪府枚方市から観光で初めて広島を訪れた出倉義明さん(68)、真紀子さん(64)夫妻は「子どもたちも巻き込まれる戦争の恐ろしさをあらためて感じた。世界は、核兵器開発の話が後を絶たず不穏。原爆や戦争の恐ろしさを伝えていただきたい」と話していた。

 「原爆は無差別に人を殺す兵器。僧侶の方々は命に日々思いを巡らせておられ、伝承者として大いに期待している」と、渡部副住職に思いを託す新井さんは「生き残った者の負い目など、被爆者の心の部分も伝えていってほしい」と願う。

 渡部副住職の自坊の本覚寺は爆心地から約550メートルにあり、寺は原爆で全壊、全焼した。当時の住職たち、寺にいた5人は全員が被爆死。戦後まもなく、渡部副住職の祖父正康さんが入寺し、寺を代々受け継いでいる。

 長男、長女が通う本川小(中区)の平和資料館でガイド活動を3年前に始めた渡部副住職。修学旅行生たちに原爆被害について話すうち、全体的な知識が足りないと感じて13年度、伝承者に志願した。「私が伝えさせていただいていいのか、戸惑いもあったが、今は使命感と誇りを持って活動している」と、今春から7月までに計5回、原爆資料館で証言した。

義父の姿触れ

 諏訪住職は12年1月に浄寶寺へ養子に入った。爆心地に近い原爆慰霊碑そばに同寺はあり、義父の了我さん(83)は疎開していて助かったが、父母と姉を失って孤児になった。祖母の長門寿子さんも爆心地から約1・7キロの金屋町(南区)で被爆。当時を語りたがらなかったが、ある年の8月6日朝、自室で泣いている様子を見て、祖母の心の深い傷を知った。

 浄寶寺に来てから、原爆死没者を悼む法要の導師を務めたり、法話などで体験を語ったりする了我さんの姿に触れ、「伝えなければならない」との思いを強くした。伝承者の研修を通じ、学徒動員中に被爆した女性の体験談を受け継がせてもらうことになった。

 伝承講話はこれまで4回こなし、次回は21日。諏訪住職は「被爆者の方の証言を引き受けるのはとても重い役割」と自らに言い聞かせ、「悲しみや痛みを忘れずに受け止め、伝えることが、戦争を再び引き起こさない力になる」と希望を抱く。

(2016年7月18日朝刊掲載)

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