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連載・特集

緑地帯 ハチロクをよろしく 出山知樹 <4>

 「B24爆撃機ロンサムレディー号の機長、カートライト氏が広島に来るんです。すごいことなんですよ!」。1999年のある日、職場に一本の電話がかかってきた。情報提供のようだった。

 片仮名の固有名詞を交え、次々に話を進めていかれる。聞き返したり、確認したりを繰り返し、ようやく分かってきた。広島の原爆で米兵が犠牲になっていたこと、その被爆米兵たちと同僚だった人物が、慰霊のため広島を訪問するということであった。

 この時の電話の相手が森重昭さん(79)である。オバマ米大統領が広島で演説した後に歩み寄り、抱擁した被爆者、その人だ。大統領は演説で、十数人の米兵捕虜も原爆の犠牲になったと言及した。

 原爆が投下される1週間余り前の1945年7月28日、広島の江田島沖に米軍のB24爆撃機が飛来し、停泊中の戦艦「榛名(はるな)」などを攻撃した。この戦闘でB24のうち2機が撃墜された。タロア号とロンサムレディー号である。

 パラシュートで脱出して生き残った何人かの乗組員たちは捕虜となって広島市中心部に連行され、収容された。そして8月6日、原爆に遭ったのである。

 捕虜となった乗組員のうち、機長だけは、詳しい取り調べのため東京に移送されて被爆を免れた。森さんはその元機長トーマス・カートライトさんと手紙でのやりとりを続けていて、広島を訪れるのはまさにその人だったのだ。たまたま出た電話で聞いた話にぶったまげてしまった。ぜひ取材させていただきたいと、その場で森さんにお願いした。(NHKアナウンサー=広島市)

(2016年7月20日朝刊掲載)

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