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連載・特集

緑地帯 ハチロクをよろしく 出山知樹 <2>

 原爆について初めて取材したのは1997年だった。その日、広島から新幹線、在来線、特急、バスと乗り継ぎ、7時間余りをかけて埼玉県小鹿野町にたどり着いた。秩父盆地にあるこの町に、原爆ドームの模型を作っている高校生たちがいると聞いたのである。

 「天文地学部」の部室に入ると、作りかけの模型があった。星や太陽の黒点を観察していた部員たちが、なぜ原爆ドームを作ることになったのか。

 天文地学部の部長だった生徒が修学旅行で広島を訪れた。そこで原爆ドームの姿を見て、身動きができなくなってしまった。

 彼は小中学校でいじめられた経験があった。戦争はこんな破壊を引き起こすのかと驚いたという。彼は、広島以外の場所にもドームがあったほうが、原爆のことが伝わるのではないかと考えた。そこで、身近な部員に模型を作ることを呼び掛けたのだった。

 部員たちは唐突な提案に戸惑ったが、思いに押され、とにかく作り始めることにした。すると、知りたいことがいろいろと出てきた。元はどんな建物だったのか。なぜ、あんな姿になったのか。ひょっとすると原爆が投下された時に建物の中に人がいたのでは…。

 部員たちは資料に当たり、自ら原爆についてどんどん調べるようになった。知った事実を模型作りに反映させていった。壁にバーナーで焦げ目をつけて熱線や火災を表現したり、周辺に残骸をちりばめて破壊力を表現したり。自分たちでも気付かないうちに、被爆の実態を知ることにつながっていったのだった。(NHKアナウンサー=広島市)

(2016年7月15日朝刊掲載)

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