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連載・特集

緑地帯 飯舘村の母ちゃんたち 古居みずえ <2>

 福島第1原発事故後、計画的避難区域に指定された福島県飯舘村から住民が集団で避難した後も、村に残った人たちがいた。生き物を飼っていた人たち、すなわち酪農家や畜産農家たちだ。酪農家たちは、牛に牧草を食べさせることも、移動させることも、牛乳を売ることも禁じられ、休業を決断した。それを聞いた私は、取材仲間に頼んで、酪農家の人たちの所へ連れて行ってもらった。

 飯舘村は、阿武隈山系北部にある豊かな自然に恵まれた美しい高原地帯だ。総面積230平方キロの約75%は山林が占め、集落や水田、田畑といった生活基盤は標高220~600メートルに分散している。高原の冷涼な気候に加え、特有の霧を生む「やませ」と呼ばれる風が吹くため、村民は冷害に強い農作物を作り、畜産業にも力を入れてきたのだという。

 小さな村だが、バブル経済崩壊後には、村の未来を担う若い世代の女性を欧州研修に派遣し、古い慣習や女性の意識の改革に努めたり、村を挙げてスローライフの考えを深めたりと、先進的な取り組みをしてきた。

 村の理念は「までいライフ」。「までい」とは方言で、「心を込めて」「手間暇を惜しまず」「つつましく」といった意味である。村の歴史や風土をいま一度見直し、人間本来の楽しい暮らしをつくり上げる飯舘流スローライフだ。経済発展を最優先する国の原発政策とは対極的な取り組みだった。

 だが、その村が原発事故の被災地になった。人々が懸命に育んできた「までい」な村づくりは打ち砕かれた。(ジャーナリスト=東京都)

(2016年7月5日朝刊掲載)

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